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2019.01.22

インスタをやめ、noteに挑む。インターネット舞台に活動20周年「まつゆう*」の強さと葛藤

まつゆう*(写真=小田駿一)





夢の書籍化も実現「願い事は、口に出す」

後に出版の夢も叶うことになった。2004年、『チェルシーのおしゃれ入門 (プチレディー手帖) 』として河出書房新社より出版された。憧れの出版社からの打診だった。



担当編集者は、「レトロなガールズスタイルをネットで探していると、何を検索してもチェルシーが一番上に出てくるんです」と打診の理由を話した。地道なSEO対策(検索結果で上位に出てくるための各種施策)の結果だった。

彼女はどのページにどんな内容を入れるかを描いた「台割」をわずか1週間後に作成し、編集者を驚かせた。今も残る台割を見ると、全ページ一貫した世界観で、緻密なページ割が設計されていたことがわかる。雑誌編集は初めてのことだったが、雑誌のモデルを務めていた経験が生きたという。


その熱量と完璧な台割のおかげで企画は通り、書籍化が実現した。「chelucy」の世界観そのままに、3人が考えるポスト・レトロなガールズスタイルのHOW TOが詰まった一冊になった。

「『私は本を出したい』『リアル店舗を作りたい』などと、願い事があると、いつも口に出して言っていました。夢って、口に出して努力すれば、叶うと信じています」

ブロガーを経て、SNSの“先生”に 彼女にファンがつく理由

その後、「ヤプース!」から派生した女性向けブログサービス「ヤプログ!」のプロデューサーとしてブログを書き始めた彼女は、次第にブロガーと呼ばれる存在になっていった。

ファッションブロガーというジャンルは当時確立されておらず、珍しかった。その後2008年、まつゆう*は米Wired.comに「日本のセレブブロガー」として11人の中の1人として選出された。 

SNSも使い始めた。最初に触れたSNSはOrkutというサービスで、その後グリー、ミクシィに登録。カルチャー系のユーザーが多かったミクシィを主に使っていたという。

ブログ仲間に紹介され、2007年からなんとなく使い始めたツイッターが、再び彼女の運命を変えた。

ある日、自身のツイッターから突然火をふいたように「通知」の嵐が巻き起こった。みるみるうちに増えていくフォロワーの桁数。一体何が起きたのだろうと戸惑っていたら、日本法人ができたばかりのツイッター社から「おすすめユーザー」として選定されたことがわかった。 ツイッターを始めた際に「この人をフォローしてみましょう」と勧められるユーザーだ。

一気に「ツイッタラー」として人気を獲得した。「ツイッターの先生」としてトークショーやメディアに出るほどになった。

一定のルールが浸透してきた今よりずっと、SNSが荒れやすい時代だった。辛いこともあった。いきなり、知らないフォロワーから「ブサイク」などと罵詈雑言を浴びせられ続けたことがあった。基本的にフォロワーからの呼びかけには応えるようにしていたが、その時はさすがにショックだった。3日間ほどツイッターを開くことができなかった。

「反応しないでいたら、自然に離れていきました。SNSに疲れたらお休みできる。自分でコントロールすることが大事なんです」

どんなサービスやツールを使っても、彼女に多くのファンがつく理由はなんだろう。

インタビュー中に彼女は学生時代を振り返り、何度か「私は勉強ができなかったんです」と語った。「きっと私が国語力に乏しいからこそ、自然にわかりやすい言葉で簡単に伝えられているのかな。だから結果としてたくさんの方に読んでもらえているのかもしれませんね」

また過去のインタビューでは、こうも語っている。

「すべての人に欲しいと思ってもらえるものって何だろう? みんなで幸せをシェアできるものって何だろう? 常にそう考えることにしているんです」(2012年3月、雑誌『ウレぴ』インタビューより)

徹底したユーザー目線、読者目線、「みんな」目線が、彼女のクリエイティビティの源泉であり、ファンを虜にする魅力なのではないだろうか。

「アヒル口」で大ブレイク 書籍化の印税をファンに還元

2009年11月19日、何気なく変更したツイッターのアイコンが、とんでもないバズを生むことになった。 変更したまつゆうの写真は、口角が上がり、上唇がややめくれている感じの唇の形だった。フォロワーから「アヒル口ですね」「アヒル口、いいね」などと指摘を受け、一夜のうちに「アヒル口」というワードとともに、時の人になった。

なんと、アイコン写真変更から3時間で、「アヒル口」本の出版も決まった。しかし「この書籍化はツイッターとみんなのおかげだから」として印税を受け取らず出版記念パーティーを実施、読者やファンに還元した。ネットやSNSの空気を熟知した彼女らしい判断だった。

 

世間が盛り上がる一方、自分自身は極めて冷静に受け止めていた。

「私は『アヒル口』という一発屋にはなりたくなかったんです。『アヒル口』の子で私よりかわいい子もいます。『アヒル口』という理由だけによるテレビの出演はほぼ全てお断りしていました。元々タレント、芸能人になりたいというより、もっとフォロワーやファンのみなさんと距離の近い、インターネットやツイッターの人でいたかったんです」

ネットを知り尽くしているからこそ、「アヒル口の人」として流行に使い倒されることはなかった。この独特のバランス感覚が、まつゆう*の魅力なのかもしれない。
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文=林亜季 写真=小田駿一 資料写真=まつゆう*提供

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