ビジネス

2019.01.22

インスタをやめ、noteに挑む。インターネット舞台に活動20周年「まつゆう*」の強さと葛藤

まつゆう*(写真=小田駿一)





伝説となったウェブマガジン「chelucy」の誕生秘話 

東京生まれ、渋谷育ち。本名の松丸祐子としてモデル活動を始めたのは15歳。ティーンの人気雑誌「プチセブン」の専属モデルオーディションで約3000人の中から8名に選ばれ、モデルデビューした。

デビュー当時は自分の容姿に自信がなかったといい、自分のことを「没個性女子」だと思っていた。ある時、「没個性女子だからこそ、どんな色にも染まれる」と考えを改めたことで、前向きになれたという。

デビュー当時のまつゆう*

テレビCMのオーディションを片っ端から受け、サントリーの「C.C.レモン」やNTT、河合塾など大手企業のCMに多数登場した。

18歳ごろから、当時のボーイフレンドの影響もあり、映画にのめり込んだ。次第に自分でも「表現したい」との思いが湧くようになる。映画への思いや論考をノートに綴るようになり、カメラや音楽にもハマった。

イラストが得意な親友の「よしけい」と一緒に、少女誌で漫画の連載をしないか、という話があった。結局実現はみなかったが、それを機に「フリーペーパーを作りたい」と考えるようになる。

しかし、紙媒体だとコストがかかる。ヘアメイクさんに相談すると、「じゃあ、ホームページにすれば?」。それがインターネットとの出会いだった。1998年。ファッション系のホームページはほとんどなかった。

「モデルのギャラからパソコンを買いたい」と母に申し出、約30万円で購入。独学でホームページ制作を学び、丸3日間、寝食を忘れて制作に没頭、自身は「まつゆう」として、親友「よしけい」と妹の「ミズタマ」との3人でガーリー・コラボレーション・ユニット「chelucy」を結成。ついに「chelucy」をオープンした。20歳の頃だった。

「chelucy」トップページ

モデルやCMの仕事を終え、帰宅すると、ネットが使い放題の深夜帯に「chelucy」を更新した。

その後携帯電話に写真機能がつき、友人のエンジニアが「写メール」でリアルタイムに写真をアップできるシステムを作った。その機能を使い、携帯からリアルタイムで更新できる日記「matsu-you’s eye!!」が実現。「chelucy」のキラーコンテンツとなり、サイト訪問者が爆発的に増えた。

写メールをリアルタイムにアップできるサービスは「ヤプース!」として後にサービス化し、18万人の会員を獲得。自宅のサーバーでは処理が追いつかなくなったため、2004年にGMOに売却した。

やさしく丁寧な語り口でファッションや美容、カルチャーなどについて発信を続け、大人気サイトとなった。「かわいいもの好きのギークな女の子が、安心して楽しめるサイトにしました」。ファンは「チェルマニ(チェルシーマニア)ちゃん」と呼ばれ、積極的に掲示板で交流した。

2005年には渋谷・ファイヤー通りにリアル店舗も設けた。たくさんのチェルマニが押し寄せ人気店になった。

まつゆう自ら、チェルマニにメイクを施したり服をコーディネートしたりして、「chelucy」の世界観に仕上げたうえで写真を撮り、レタッチまで施すというサービスも行なっていた。現在の「インスタ映え」現象に近い、写真映えサービスを15年以上前に手がけていたのだ。

「chelucy」の成功でテレビ出演も相次いだ。NHK BS1「デジタルスタジアム」でもMCを務めた。
次ページ > 夢の書籍化も実現「願い事は、口に出す」 彼女にファンがつく理由

文=林亜季 写真=小田駿一 資料写真=まつゆう*提供

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事