「インクルージョンな社会」をつくるため、いま私たちに必要なこと

左から林千晶、増原裕子、清水晶子、小国士朗

「ダイバーシティ」と「インクルージョン」。これらは、これからの企業や社会にとって、避けてはとおれないキーワードである。

渋谷TRUNK HOTELで行われたイベント「MASHING UP」。その中で、『注文をまちがえる料理店』プロデューサーの小国士朗、東京大学教授の清水晶子、トロワ・クルール代表取締役の増原裕子、ロフトワーク代表取締役の林千晶が交わした「インクルーシブな社会をつくるためのアイデア」トークセッションが開催された。セッション内では、LGBTアクティビストやジェンダー研究の第一人者などの4人が、改めてふたつの言葉を意味を語った。


:最近、よく「ダイバーシティ」「インクルージョン」といわれていますが、その言葉は一体なにをさすのか、本当にインクルーシブな社会を実現できるか、できるとしたらどんなアクションが必要なのか、ということを本音で話していきたいと思います。

小国:よろしくお願いします。ぼくは『注文をまちがえる料理店』という、認知症の方がホールスタッフの料理店をやっています。

清水:わたしは東京大学でジェンダー、セクシャリティについて教えています。

増原:わたしはLGBTアクティビストの増原と申します。今年の5月にカミングアウトをした勝間和代さんとお付き合いをしています。

:まず、「ダイバーシティ」と聞くと人それぞれ思い浮かべるものが違うと思います。ダイバーシティがなにを意味するのかを清水さんにお聞きしたいのですが。



清水:「ダイバーシティ」とは「多様性」です。バイセクシャルやレズビアン、女性、男性がいて、障害をもっている人、病気をもっている人、健康な人がいるという状況を指す言葉。「いろんな人がいるよね」という状況そのものが「ダイバーシティ」だと思っています。

また、「インクルージョン」は「包摂する」という意味。これは、ある場の中にいろんな人を含み込んでいくということ。例えば、「この建物のこの階には車いすを使っている人は来ることができません」となったら、車いすの人は「ここにはいられません」となってしまう。それではいけないと。そのときに「どうやったら車椅子の人が来れるようになるのか」を考えることが「インクルージョン」です。

このように、ダイバーシティやインクルージョンはどちらも大事なのですが、下手をするとダイバーシティの場合は、単に「いろんな人がいるね」「なんか楽しいね」で終わってしまう。インクルージョンの場合は「わたしたちがこの方式というんだから、この方式にあわせてね」と変換されることがある。

ダイバーシティもインクルージョンも大事だけれど、気を付けて使う必要があるものです。わたしたちが「ダイバーシティ」「インクルージョン」というときに、「どこに注目するのか」について気をつけることが出発点かなと思います。

:増原さんはいかがですか?



増原:わたしは企業の方とダイバーシティ&インクルージョンに関するお仕事をすることが多く、そこではシンプルな考え方を伝えています。それは、「世の中には多様な人がいて、その人の個性が押しつぶされることなく発揮でき、お互いに引き出せるような関係づくりをしましょう」と。

:よく、マイノリティー側は痛みを伴うけれど、マジョリティー側は自分をマジョリティー側だとも思っていないし、傷つけているつもりも線を引いているつもりもない。つまり自覚が無い人も少なくありません。普段の生活で、自分がレッテルをはられている、線を引かれていると感じる場面はありますか?

増原:わたしは「女性」と「レズビアン」という要素もあります。ダイバーシティは、やっぱり見た目に引っ張られがちではないですか。日本社会には顕在化しているレズビアンがまだ少ないので、わたしは今、逆にそれを面白がっています。「見た目だけだとわかりませんよね」と伝えて、ラベリングには意味がないことや、見た目で判断することには意味がないことを、逆に言うようにしています。
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文=須藤千春

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