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2019.01.21

「行かんとわからんやろ」最も叱られたCEO | 島津製作所 上田輝久

島津製作所 代表取締役社長 上田輝久


分析計測事業一筋の上田輝久が社長に就任する2015年の正月、当時の社長だった中本晃から届いた年賀状には「課題が山積み」と書かれていた。
 
6月に社長に就任すると、上田は1年かけて各事業部門や海外拠点を行脚する。そこであらためて浮き彫りになった第一の課題は「医用機器、航空機器、産業機器という、主力の分析計測以外の事業価値をいかに高めるか」。そこで中国や東南アジアなど新興国市場でそれらの事業を拡大し、製品のローカライズを徹底。3年連続で過去最高益を更新している。

だが本人は「ここ十数年、社全体でやってきたことが花を咲かせただけ」と、いたって謙虚だ。

「世界各地の子会社が商社にオペレーションを任せず自前でやるようになり、有力なお客様を掴み始めた。そうすると、例えば日本癌学会や日本太陽エネルギー学会などの専門学会で『島津のこの製品がいいですよ』とお客様自らがPR役を買って出てくださるようになる。贈り物をいただけるというか、そうやって私達もお客様とともに成長することができました」
 
社長就任から3年。140年超えの老舗企業の看板を背負う上田にとって、目下の課題は「人と地球の健康」だ。自らもウェアラブルデバイスをつけて心拍数や睡眠状態を測り、ヒントを探す。

「人と地球の健康は全世界共通の課題です。寿命100年時代に突入し、認知症やがんの問題もさらに深刻になる。病気を未然に防ぎ、クリーンで安定したエネルギーで生活を支えるため、島津も現在の技術をベースに、社会の課題解決にチャレンジしたいですね」
 
それには上田が言う「お客様とともに成長すること」も欠かせないだろう。共存共栄の精神は島津のDNAだ。
 
創業者の初代島津源蔵も、父の名を襲名した二代目も“科学立国”を目指し、京都を産業の盛んな街にするために様々な企業と協業してきた。いまや1兆円企業となった京都企業の京セラや日本電産、村田製作所も、創業時は島津の協力会社だった。

「それぞれが技術力をつけて、それぞれの役割・分野で成長していくことこそ、街そのもの、引いては日本の未来につながるんです」


うえだ・てるひさ◎1957年、山口県生まれ。82年、京都大学大学院修了、島津製作所入社。89年より渡米、米カンザス大学との合同ラボのマネジャーを務める。分析計測事業部の品質保証部長、取締役分析計測事業部長を経て、2015年、異例の50代で社長に就任。

文=堀 香織 写真=小田駿一

この記事は 「Forbes JAPAN 日本の起業家」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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