「善男」と「悪役」? 松井秀喜とヤンキース史の意外な関係

2006年5月、左腕手首の手術の結果報告に記者会見する松井秀喜選手。Corey Sipkin/NY Daily News Archive via Getty images


ところで、左手首を骨折した際に松井選手が搬送されたコロンビア・プレビテリアン・メディカル・センター(長老派教会病院)は、1928年にできた病院なのだが、実は、その場所には、かつてニューヨーク・ハイランダーズ(現ヤンキース)が本拠地としていたヒルトップ・パークがあった。つまり、松井選手は、球場跡地で左手首の手術をしていたのだ。


ヒルトップ・パーク跡地にあるコロンビア・プレビテリアン・メディカル・センター。

1901年のアメリカンリーグの創設に伴い、メリーランド州ボルチモアに、初代オリオールズ(現在のオリオールズとは別の球団)が誕生した。初代オリオールズは、大事な試合の前に選手たちが必ず七面鳥のグレービーソースを口にする、とてもユニークな球団だった。1903年にニューヨークに移転することが決まると、マンハッタンの高台に10年契約で土地を借り、新球場を総工費30万ドルで建設した。

新球場の正式名は、アメリカン・リーグ・パークだが、高台にあったため、ヒルトップ・パークと呼ばれた。ネット裏の観客席からはハドソン川とニュージャージーの景色が楽しめたという。とてもこじんまりした球場で、打者に有利な球場だった。

外野は芝生のない土のフィールドで、水浸しになることがあり、そのためフェンスに向かって下り坂になっていた。水浸しのエリアに打球が飛んだ場合は、グランドルールで二塁打となった。クラブハウスはなく、選手は、ホテルで着替えなければならなかった。

開場が1903年の開幕には間に合わず、ヒルトップ・パークは、4月30日に開場。ハイランダーズはワシントンに6対2で勝利した。

1912年に土地の契約が満了すると、球団名がヤンキースに変更になり、ジャイアンツの本拠地ポロ・グラウンズに移転、ヒルトップ・パークは、1914年に取り壊された。

病院の中庭には、かつてヒルトップ・パークのホームプレートがあった。この中庭はとても綺麗に手入れされており、一般にも開放されているため、近くの住民の憩いの場になっていた。

その中には、ホームプレートの形をした記念碑がある。この記念碑は、1993年にヤンキースが病院に寄付したもので、その除幕式には、当時102歳で元メジャーリーガーの中で最年長だったハイランダーズの元投手レッド・ホフが出席した。


病院の中庭にあるホームプレートの形をしたヒルトップ・パークの記念碑。

跡地周辺を歩いてみると、周辺の道路は確かにハドソン川に向かって下り坂になっていた。跡地に病院が完成し、周囲はすっかり様変わりしているが、こんなところにも、野球場の痕跡が残っているのだ。

病院周辺は、ドミニカ共和国からの移民が多く居住しているワシントン・ハイツという地域だ。松井選手がヤンキースで活躍していた頃、同じ地区のライバル球団レッドソックスの主砲で、松井選手が手首を骨折した際に、その様子をベンチで見守っていたマニー・ラミレスもこの地域の出身者だ。ドミニカ生まれのラミレスだが、13歳の時に家族と共にアメリカに移住し、この地域にあるジョージ・ワシントン高校在学中にインディアンズにドラフト1位指名された。

その素行の悪さは有名で、「Manny being Manny(マニーはマニー)」という言葉あるほど、彼は自由奔放なプレースタイルを貫いた。ドジャースに放出された後、薬物使用が発覚し、出場停止処分を受け、その後、台湾プロ野球や日本の独立リーグでもプレーしたが、数々の問題を起こしたのは有名だ。歴史や伝統を重んじるヤンキースを象徴する選手の一人が松井選手であるとするなら、レッドソックスの自由奔放さの象徴がラミレスだといえる。

メジャーリーグでは、松井とラミレスのような、ライバル関係にある善男と悪役スラッガーがいつの時代もいた。シューレス・ジョー・ジャクソンとタイ・カッブ、ジョー・ディマジオとテッド・ウィリアムズがそうだ。

しかし、ラミレスの勝負強さは折り紙付きだ。生涯満塁本塁打記録では、アレックス・ロドリゲス、ルー・ゲーリッグに次いで第3位、ポストシーズンの本塁打数では堂々の第1位、そして、1999年には147試合に出場して165打点という驚異的な記録を残している。彼の自由奔放な野球スタイルが勝負強さの源のような気がしてならない。

このように、数多くの優秀なメジャーリーガーを輩出している国民のコミュニティが形成されている地域には、世界で最も有名な野球チームのニューヨークでの最初の本拠地があった。そして、そこで、大怪我を負った日本を代表するスラッガーが手術し、ニューヨーカーの心を掴んだ声明を出していたのだ。

文=香里幸広

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