イタリア製なのに英国的なフェリージ|紳士淑女の嗜み

No.2003/A(右)、No.2001/1/A(左上)、No.17/ 70/A(左下)


森岡:バッグって、その人のスタイルが見て取れるアイテムだと思います。バッグの選択に着る人の意図が感じられる、そんな存在感を漂わすことができるバッグではないでしょうか。

小暮:もう一度ブランドの話に戻りましょうか。フェリージの生まれたのは、フェラーラです。北イタリアのエミリア=ロマーニャ州の古都ですが、実は私、フェラーラに何度も行ったことがあるのです。

森岡:フェリージの取材ですか?

小暮:いや残念ながら、そうじゃなかったのですが、街もずいぶんと取材して回りましたよ。この地方を治めていたエステ家が建設したエステンセ城が街の中心にあって、ディアマンティ宮殿という、いまでは美術館になっている建物も有名です。ヨーロッパではフェラーラは芸術都市として知られています。泊まったホテルのロビーに職人的な革靴の製作途中のものが飾られていて、たぶん革製品などをつくる職人がたくさんいたんじゃないですか。

森岡:フェリージは確か革のアクセサリーづくりからスタートしたブランドじゃないですか。

小暮:創業者アンナリサ・フェローニが独学でつくり始めたベルトから始まったと記憶しています。やがてフェラーラの街の一角に小さな革工房を開き、中世から伝わるフェリージ家の紋章を模したロゴを採用し、それをブランド名にしたのです。

森岡:現在のデザイナーは96年から就任したドメニコ・ベルトラーニ。伝統のスタイルに新しい技術とアイデアが加わり、コレクションの世界がさらに広がったと言われています。今回は過去にデザインしたアーカイブコレクションからのバッグですが、まさにフェリージのバッグづくりの歴史を物語るようなモデルです。

小暮:フェリージの社訓は、「本物にこだわり誠実であること」。そして「どの時代においても愛され、親から子に受け継がれるようなものづくりをすること」ですからね。

森岡 弘◎『メンズクラブ』にてファッションエディターの修業を積んだ後、1996年に独立。株式会社グローブを設立し、広告、雑誌、タレント、文化人、政治家、実業家などのスタイリングを行う。ファッションを中心に活躍の場を広げ現在に至る。

小暮昌弘◎1957年生まれ。埼玉県出身。法政大学卒業。82年、株式会社婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。83年から『メンズクラブ』編集部へ。2006年から07年まで『メンズクラブ』編集長。09年よりフリーランスの編集者に。

photograph by Masahiro Okamura, text by Masahiro Kogure, edit by Akio Takashiro

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