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2019.01.18

メルカリを生んだ背景にある「勝ち負けではない」投資哲学|高宮慎一

グロービス・キャピタル・パートナーズ 高宮慎一

「日本版MIDAS LIST」1位に輝いたのは、「76世代」投資家の高宮慎一。日本の「ベンチャー投資家第二世代」を牽引する彼の信条とは。


「いつまでもメルカリの実績にすがり『メルカリは僕が育てた』と言い続けるメルカリおじさんにはなりたくない(笑)。もう前を向いて次なるメルカリを支援したい」

グロービス・キャピタル・パートナーズの高宮慎一代表パートナーは、そう言いながら現れた。18年6月、上場初日の時価総額が6760億円と異例の大型上場を果たしたメルカリ。まず最初の質問で、高宮がメルカリに投資をした経緯を問うと、彼は2008年までさかのぼり話はじめた。

高宮がベンチャー投資家となったのは08年9月。外資系戦略コンサル会社アーサー・D・リトルを経て、ハーバード経営大学院(MBA)修了後に、グロービス・キャピタル・パートナーズに入社。全く人脈がない中コールドコールで連絡した相手の一人がメルカリ創業者の山田進太郎だった。

当時、「ウノウ」を経営していた山田とは同世代だったこともあり、すぐに2人は意気投合。gumi創業者の國光宏尚やドリコム代表取締役の内藤裕紀ら同世代のメンバーとともに、フューチャーフォン向けソーシャルアプリの勉強会を開いた。

高宮は、この時すでに起業家・山田進太郎への投資を行いたかった。

「後にウノウの売却先となる、(オンラインゲームの)米ジンガのファウンダーに、ウノウへの共同投資をもちかけました」

ミクシィが外部のディベロッパーにSNS上でアプリの公開を解放した09年の出来事だ。しかし、ジンガはウノウ買収へと舵を切ったため、共同投資は幻に終わった。

「この頃から、山田さんと『機会があれば一緒に何かやりたいね』と話したんです」

その後、ジンガを退職した山田は世界一周の旅を経て13年2月、メルカリを設立。プロダクトが出て最初のラウンドで高宮が投資を試みたときは、すでに多くの投資家が殺到し、社内の投資委員会を経て提案したバリュエーションではとてもではないが届かなかった。再度社内をまとめにかっている時、山田の口から出たのは「高宮さんだったら待つよ」という言葉だった。

「義理堅い人なので、もしかしたらウノウ時代のことを覚えていてくれたのかもしれません。あとは、もはや週1でスカッシュするただの友達になっていたのも大きかったかもしれない(笑)」

高宮は14年3月、シリーズBのリード投資家として、メルカリに投資し、社外取締役に就任する。二人の信頼関係が、日本のスタートアップ業界における歴史的なディールを呼び寄せた。

高宮にとって「信頼」は、いまでも投資を決める重要な材料であり、投資先に対する関わり方の核でもある。上場を急かさず、着実に調達を重ねてじっくり事業を成長させる。最終的に事業規模が大きくなれば、上場までのスピードは重視しない。
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文=野口直希 写真=ヤン・ブース

この記事は 「Forbes JAPAN 日本の起業家」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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