サイエンス

2019.01.20 09:00

西洋文明のルーツを作った「ギリシャの銀山」の富の力

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紀元前480年、ペルシア軍はテルモピュライの戦いでギリシャ軍を打ち負かし、ギリシャに侵攻した。しかし、万策尽きたかと思われたギリシャで、アテナイの政治家テミストクレスがある提案をする。陸ではなく海で戦うべきだというのだ。その後、勃発したサラミスの海戦では、新造された艦船でペルシア軍を撃破した。

その1年後、ペルシア軍はアジアに撤退した。もしペルシア軍が勝っていたら古代ギリシャや、その後の西洋文明も繁栄しなかっただろう。つまり、サラミスの海戦は人類史上最も重要な戦いの1つだと主張する歴史学者もいるほどだ。

サラミスの海戦のために建造された艦船の支払いには、ラウリオン銀山で採掘された銀が使われた。この銀山はアテネの南に位置していた。

鉛や亜鉛、銅や銀の鉱脈は古い堆積物や火山岩などの隙間にマグマが流れ込む貫入によって形成された。この地域では紀元前480~250年に作られた、200近い採掘坑が考古学者によって発見されている。テミストクレスが必要とした銀を産出するために、2万人の奴隷が動員されたとされている。

ラウリオン銀山では300年の間に3000トン近くの純銀が産出された。ギリシャでは最大の鉱山地区で、採掘はアテナイの台頭に一役買ったと言われている。アテナイは現代の民主主義と西洋文明が誕生した場所とされている。

ペルシアの撤退後、都市国家スパルタとアテナイが覇権をめぐり長期戦を繰り広げた。銀の産出量が減るにつれてアテナイは影響力を失い、スパルタは紀元前371年にギリシャの別の都市国家テーベによって打ち負かされる。

一方で台頭したのがギリシャ北部のマケドニアだ。紀元前310年にはアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)がペルシアとギリシャ北部の征討を成功させ、ペルシア流の行政制度を取り入れた。アレクサンドロス大王はその数年後に死去し、帝国は崩壊する。

しかし、アレクサンドロス大王の功績はその後、イタリアやスペインで産出された銀を使って台頭したローマ帝国に取り入れられた。ローマ帝国も最終的には崩壊するのだが、そのレガシーが後の西洋社会に大きな影響を与えることになった。

翻訳・編集=上田裕資

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