エストニア政府のような先進的ビジョンがあるわけではないのに、地域の困りごとにブロックチェーンを使おうとか、あるいは大企業がスタートアップの力を借りて平凡な用途にブロックチェーンで挑むというような例など、「必要ない」ものを数えたら枚挙にいとまがありません。
全般的にもっとシンプルな技術で十分なものだったり、ブロックチェーンありきでビジネスモデルをつくったもののテーマ自体に無理があったり、ポテンシャルが限られた事業が多く、なかには呆れて二の句が告げないようなものまであります。
ブロックチェーンは革新的であり、ポテンシャルが大きな技術です。長期的に注目していくべきものに変わりはないでしょう。では、専門家や事情通は、このブロックチェーンに対する狂騒を、どう見ているのでしょう?
日本のある大企業で、ブロックチェーンのプロジェクトを率いてきた人は、「仮想通貨/金融以外でブロックチェーンを用いたビジネスモデルで、現実的なものはすぐには見当たらない。仮想通貨にしても規制が厳しくなる方向なので容易ではない」と語ります。
海の向こうではどうかというと、シリコンバレーの事情通に聞くと、多くのブロックチェーンの試みは、目指した結果を生み出せず、ブロックチェーンの熱狂はすでに下降し始めていて、何でもブロックチェーンというのは嘲笑の的だとか。なぜ、こんなことになっているのか、簡単に説明してみたいと思います。
熱狂に踊らされる心理
新しい技術が世の中でどう見られているかをチェックするには、市場からの期待度を示すガートナー社のハイプ(熱狂)・サイクルが参考になります。
「日本におけるテクノロジーのハイプ・サイクル:2018年」では、ブロックチェーンは「過度な期待」のピーク期(成果を伴わないまま過熱気味にもてはやされる)にあります。
出典:ガートナー(2018年10月)
そのうえでガートナーは「ブロックチェーンに対する期待はピークを越え、幻滅期へと坂を下りつつある」としています。さらにそのハイプ・サイクルの米国版では、ブロックチェーンは日本版よりさらに坂を下った位置にあります。
しかし人間の心理というものは面白いもので、こういう分析が示されていても、ピーク期にある技術やそれを使う会社に注目してしまい、それらを後追いしようとします。バブルのピーク時にも、「ウチも不動産投資をやろうと思う」と語る大企業トップに会ったことがあります。もちろん、そこで不動産投資に手を染めていたら会社は傾いていたことでしょう。頭脳明晰な方でしたが、人は熱狂の中ではおかしな方向に引き込まれてしまうのです。