「若者を都会と大企業が吸い込んでいく流れをなんとかしたいと思いながらも、民間企業の経営者として十分な挑戦ができなかった。リクルートをもってしても、風穴をあけるところまではできなかった」
そう語る水谷智之氏の言葉尻には悔しさが滲む。新卒で入社したリクルートを28年勤め上げ、リクルートキャリア初代社長も務めた彼には企業人時代に解決することのできなかった課題が残されていた。
それが若者が生まれ育った地域を捨てて、大企業へと就職して生活の拠点を都会へと移していく日本社会の構造的な課題だ。
リクルートで長年、企業の人材採用と育成を仕事としてきた。だからこそ、優秀で意欲も高い若者が都会と大企業に吸い込まれていく構造が手に取るようにわかる。
「地域に住む親たちだって、ここにいたらお前の可能性が狭まってしまうと言って子どもたちを都会へと送り出していく。私はそんな若者吸い込みポンプのボスをやっていたんです」
少しでも流れを変えようと、1990年には日本初のUターン・Iターン専門誌「U・Iターンビーイング」の創刊を手がけた。しかし、赤字の続いた「U・Iターンビーイング」は18年後に廃刊となる。「このままでは収益が上がらない」と判断し、事業の打ち切りを決めたとき水谷氏も経営陣の一員だった。
いま地域に必要なのは“WILL”を持った若者だ
2016年3月末でリクルートを退社。次のチャレンジの場として彼が選んだのは、高校教育の領域だった。
2007年に島根県の離島、海士町で高校魅力化コーディネーター・岩本悠氏のもとでゼロからはじまった高校魅力化プロジェクト。県外や海外からの生徒募集や地域の課題解決に取り組む授業といった先進的な教育は注目を集め、一時期は存続を危ぶまれていた隠岐島前高校は倍率2倍を誇る県内有数の人気校となった。
隠岐島前高校の魅力化をリードしてきた岩本氏と、全国にキャリア教育を広げた認定NPO法人カタリバの今村久美氏と3人で一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームを立ち上げた。いまでは島根県内全域に広がったこの取り組みを、全国へと広げることが水谷氏の新たなミッションだ。
近年、ブームとなった「ふるさと納税」やクラウドファンディングの浸透などでお金の流れは変わりつつある。しかし、「人の流れはまだ変わっていない」と彼は語る。
地域における人口減少、労働人口の減少については「就職のタイミングが分かれ目となる」「地域には魅力的な仕事が存在しないことが原因」といった様々な指摘がなされている。
それらは決して間違いではなく、ある一面では正しいと前置きした上で水谷氏は強調する。
「一番の課題は『この地域の未来は俺たちが創ろうぜ』という強い意志=”WILL”を持った若者がいないことではないでしょうか。自分と親以外の社会への感度が広がる高校時代に、どれだけ社会と接する機会を持ち、原体験を積むことができるか。その地域に育まれた実感を持てなければ、地域へ戻ろうなんて思いませんよ」
彼自身も、大学卒業後に生まれ育った愛知県へ戻ることはなかった。そんな原体験があるからこそ確信している。
「高校時代に地域に育まれた体験を積み、その地域を好きになれるか。そうしたものが種となり、いつか花開く。自分の生まれ育った地域の未来を自分たちで創ろうという若者を育てるための、一番遠回りだけど一番本質的なアプローチは高校時代の教育を変えることだと考えています」