コミュニケーション不全の女が求めた、言葉を越えた熱いやりとり

映画「百円の恋」主演の安藤サクラ(Photo by Emma McIntyre/Getty Images)


一見愛想がいいがどこか虚ろなところのある店長の岡野、異様にしつこく喋りかけてくる中年店員の野間、裏口から入ってきて廃棄処分の食品を持っていくハイテンションな元店員など、店関係の登場人物はことごとく、相手とバランスのある会話ができない人ばかり。

もともと口数が少なく、家でも誰とも十全なコミュニケーションを取れていなかった一子は、勤め先でもコミュニケーション・ギャップに囲まれる。

そんな一子が少し気になっているのは、通勤途中にある青木ボクシングジムで見かける青年、狩野祐二(新井浩文)。ある日、店にバナナを大量に買いに来た祐二から、一子は唐突にデートに誘われる。当日、全然似合わない花柄のワンピースで現れる彼女の顔には、素朴なまでの期待と不安が滲んでいて、微笑ましくさえある。

しかしここでも会話は弾まない。無口な祐二との動物園デートはまったく盛り上がらず、「なぜ私を?」の問いには「断られない気がした」という身もフタもない答え。互いにほのかな好意を抱いているはずなのに、一子も祐二も明らかにコミュニケーション弱者だ。

二人の間に割って入ってくるのが、しつこく一子に言い寄り始めた同僚の野間。祐二の引退試合の観戦に行った一子は、初めて間近で見るボクシングに魅せられるが、祐二は彼女についてきた野間と一子の関係を誤解し、食事の途中で帰ってしまう。

その後、酒を飲まされた一子が野間に強引にホテルに連れ込まれて犯される一連のシーンは、見ていてかなり胸が悪くなる。手を拱いているうちに、最悪の事態にのみ込まれてしまう一子の、圧倒的な間の悪さ、寄る辺無さが悲しい。

ボクシングで見つけた「理想のコミュニケーション」

無口な祐二とおしゃべりな野間という正反対の存在が一旦消えた後、一子は祐二の去った青木ボクシングジムに入会する。

喧嘩のように殴り合うが、終わった後は肩を叩き合って互いの健闘を讃えるのだというジムの所長の言葉が、一子の心に響く。思い切りぶつかり合うけど、相手への敬意は忘れない。下手な言葉もいらない。この時彼女は、男たちのとの間で失敗してきたコミュニケーションの“理想のかたち”をボクシングに見出したのだ。

やがて祐二が再度一子の前に登場するが、やはり言葉はうまく使えない。彼は泥酔して入ってきた店の中で盛大に吐いて倒れ、一子のアパートに連れて来られ、そのまま居着くことになる。

風邪を移されて寝込んだ一子に祐二が調理してやる、噛み切るのに手こずる固くてデカいステーキは、まさしく彼の口下手さを象徴するものだ。しかしそこに祐二の「うまく言えない気持ち」を感じたから、一子は思わず泣いたのだろう。

好きな男と寝食を共にしつつトレーニングに熱中し始めた一子は、今までにない充実感を味わう。ものぐさを絵に描いたようだった以前と比べると、かなりの変化だ。
次ページ > 年齢制限ギリギリで試合に挑む

文=大野左紀子

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事