「不寛容さが目立つ時代に、他者の人生を身近に感じられるような作品を作りたくて」そう話すのは、映画監督の清原惟。劇場デビュー作である「わたしたちの家」は、PFFアワード2017グランプリを受賞し、2018年1月にはベルリン国際映画祭への正式出品も経験。18年6月には、中国最大の映画祭「上海国際映画祭」で最優秀アジア新人監督賞受賞。香港や台湾、チリ、ブラジルなどの国際映画祭にも参加するなど国際的な評価も高い。
そんな若くして活躍する映画監督に、映画の道を志したきっかけや、作品づくりに懸ける想いを聞いた。
──大学院の修了制作として撮影された「わたしたちの家」は、国内外の映画祭などで多くの人の目に触れました。17年末のPFFアワードのグランプリ受賞を機に飛躍の1年だったと思いますが、振り返っていかがですか?
「わたしたちの家」は、いわゆる分かりやすい娯楽映画ではないので、人によってはどう観たら良いのか分からないと思うかもしれないし、どのように観ていただけるのか不安はありました。でも結果として、作品に対する感想や意見は賛否両論あるにせよ、自分が想像していたよりも「良かった」と言ってくださる方が多かったです。
「分からない部分があるけど、それが心地よかった」「難しかったけど、おもしろかった」など、「分からないこと」をストレスとしてではなく、心地よさとして感じてくださった方が多くいた事は自分でも驚きでした。「分かること」ばかりが映画の面白さではないということを、多くの人と共有できたことは、とても嬉しいことでした。
──国内と海外で、反応に違いはありましたか?
日本よりも海外の人の方が、はっきりとした回答を得たい気持ちが強いように感じました。
──というと?
ネタバレしちゃうのであまり詳しく言えないですが(笑)、「わたしたちの家」は、ストーリーの中で観ている方が知りたいであろう謎が、謎のまま終わってしまいます。その部分に対して、海外では上映後の質疑応答で「あれの答えはなんだったの?」と必ず聞かれたんです。
対して日本の上映会では、あまり聞かれなかった。分からないものや曖昧なものに感じる美学は、日本的な感性なのかもしれません。
──曖昧さの受容は確かに日本的かも知れませんね。
実は本作のテーマの一つで「境界線」があります。古い家を舞台にしているのですが、それは、昔の家は生活の境界線が曖昧だから。壁ほどはっきりと空間を区切っていない障子や、「靴で歩ける室内」という意味でちょっと外のような、でも内側の空間でもある土間があったり。
家という小さな空間の中で2つの世界がパラレルワールド的に進んでいく映画なのですが、パラレルワールドが交差する、2つの世界の境界線が曖昧になる瞬間があります。それを、古い家を舞台にすることで視覚的にも示しています。