この指摘は、AIの処理能力の一部がすでに人間を上回っていることを認めるという立場とも言える。人間は自分より優秀な人間の頭の中を説明することはできないが、人工知能に対しても同様のスタンスで接してこそ、企業経営やビジネスにも有効に活用できるというわけだ。一方で、日本の有識者からはこんな指摘もある。
「ディープラーニングがブラックボックスであるということが不変の事実であるように語られていますが、ホワイトボックス化する努力はあまりされていません。個人的には、ディープラーニングなど過程が不明な技術を使わないというのが正解ではなくて、理解できるものに発展させるというスタンスが必要だと感じています」
機械の知能を認め“共存”するか、または解釈可能なものとして“制圧”するか。人工知能に対するそれら哲学的な議論は、日本のAI産業のみならず、あらゆる産業の発展にとって避けては通れないものになっていくような気がする。
もう少し厳密に言うのであれば、「説明できなければ使わない・使ってはいけない分野」と「説明できなくても積極的に使う分野」を精査して、ユースケースごとに共存と制圧の線引きをすることが重要になってくるかもしれない。「AIを使いこなすバランス感覚」と、言ったところだろうか。
なお世界各国では、過程を追えないテクノロジーと共存することを選びとり、産業競争力を着実に強化している企業の動きも目立つ。
人工知能とどう接するべきか。2019年は、人間側が改めて判断を余儀なくされる年になりそうだ。
連載:AI通信「こんなとこにも人工知能」
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