ハリケーン・カトリーナの被害を増大させた「会議室の中のゾウ」

イラストレーション=岡村亮太

災害時のシナリオをかなり正確に想定していたのにもかかわらず、最悪の事態を招いてしまうことがある。問題に気付いていながら、なぜ防げなかったのだろう?


今年9月4日、大阪に上陸した台風21号は、その最大級の暴風(58m/秒)で自転車をおもちゃのように巻き上げ、記録的な高潮は関空を水浸しにした。そして、死者13名をだすなど、関西地方を中心に甚大な被害をもたらした。
 
近年の水害で私の記憶に残るのは2005年、ジャズ発祥の地、アメリカのニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナ(カテゴリー5)だ。
 
カトリーナが上陸する前年の04年、ニューオーリンズ市は巨大ハリケーンの図上演習を実施していた。理由は同市の地形にある。同市の南側を流れる米国最大の河川ミシシッピ川と、北側に位置する広くて浅いポンチャートレイン湖に挟まれ、両者は水路でつながれている。しかも土地のほとんどは海面より下という地形だ。
 
行政の想定した最悪のシナリオはこうだ。ハリケーンに伴う暴風雨は堤防を決壊させ、行き場を失った大量の水は一気に市を水没させる。建造物の90%は破壊され、避難しなかった推定20万人は必死で生き延びようとする。

一部の人々はスーパードームに収容され、他の人々は土壇場で緊急避難し最低限の安全を確保し、数千人は家屋や車の中に閉じ込められて上昇する水におぼれる。生存者は屋根や建物の上、あるいは水に囲まれた高地に取り残され、避難する手段も食糧や飲料水もほとんどないまま、数日間は取り残されることになる……。
 
市も住人も「まさかそんなことは起こらないだろう」と、心の底では思っていたに違いない。
 
その証拠に、人々はハリケーンなどどこ吹く風で、直前までリトルリーグの試合を観戦し、夜にはジャズの生演奏を楽しんだ。見かねた政府からの指示で市長がやっと重い腰を上げ強制避難勧告に踏み切る始末。

前日、120万人による車での大移動が始まった。一方、数万人は避難をせずに街に残留。その大半は車を持たない貧困層か病人であった。
 
しかし、想定していたシナリオが現実のものとなった。死者1,836人、行方不明者705人をだし、市の8割は水没したのである。
 
巨大ハリケーンの襲来で市が水没することが判っていながら、なぜ被害をもっと小さくできなかったのだろう?
 
私はニューオーリンズ市が“Elephant in the room”状態に陥っていたと考える。つまり、象が会議室にいれば、当然皆その存在に気づいている。しかし、象は今のところ暴れだす気配はない。あまりにも問題が大きすぎてどこから手をつけたらよいか判らないし、対策費は膨大であろう。「先送り」という選択肢に暗黙のうちに同意が形成される。その結果、象が部屋にいるのに皆は見て見ぬ振りをしてしまう。
 
象は災害対策だけではなく、随所に潜んでいると私は感じる。


うらしま・みつよし◎1962年生まれ。東京慈恵会医大卒。小児科医として小児がん医療に献身。ハーバード大大学院にて予防医学・危機管理を修了し実践中。今年6月に『病気スレスレな症例への生活処方箋』(医学書院)を出版。

文=浦島充佳 イラストレーション=岡村亮太

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