キャリア・教育

2019.01.01 09:00

「救急医療搬送」をナイジェリアに 若きフライングドクターの献身


姉の死からの出発──ドクター、そしてパイロットへ

「私の場合、ある悲しい経験が起業のきっかけでした」と彼女は語る。

「ナイジェリアに私が立ち上げたような医療サービスがあの時あれば─。私の姉はたった12歳で命を落とさずにすんだかもしれないのです。この現状を変える必要がある、他の誰かが姉のような目に会うのを止めなければならない、と強く感じました。子供のころから姉の病気のおかげでお医者や看護師さんに会う機会があり、医療にいい印象を持っていたので、一番の夢はそもそも医者になることだったのですが」

「母は私が飛行士になることにいい顔をしなかったので、まずはメディカルスクールに進学しました。でも、卒業と同時に飛行機の操縦を学び始めたんです。きっと、私の中のお転婆な女の子がそうさせたんでしょう。今では医療と同じくらい、飛ぶことがたまらなく好きです」



21歳で医師資格取得、日本へ

彼女はロンドンに生まれ、ローストフトという東イングランドの小さな漁業の町で、労働者階級の里親のもとに育った。ヨーク大学で医学を学び、21歳にして、英国で最年少で医師資格を得た一人となった。

メディカルスクールを卒業するやいなや、メディカルリサーチのため日本政府からの奨学金で日本へ、ついでは中国へと飛んだ。そこで「もっとも大切な経験の一つを得た」という。日本語を少し覚え、寿司の魅力を知った。

「日本語がしゃべれることは中国の人たちにはなんの意味もないようでしたけれど」と彼女はFORBES AFRICAに語った。「英国で育った私にとって、アジアは私に興味深い刺激でした。アジアでの経験は、職業倫理と、人生に対する姿勢に大きな影響がありました」

現在、彼女は西アフリカの商業の中心であり、急速に成長する人口1900万の都市、ラゴスに住んでいる。

「心臓の鼓動が戻るのを聞きたい」!──すべての献身はそこに向かう

「ナイジェリアで医療活動に従事すること、それは簡単なことではありません。みんな、なぜ私がそんな困難をあえて選ぶか、不思議に思うようです。そんな先入観にももう慣れましたけど」。彼女は少し皮肉っぽく言う。

「このビジネスを始めるのは想像以上に難しいことでした。ハードワークの連続と、数限りない落胆。想定していなかったことが多すぎて、信じられないほどの献身と集中力、そして犠牲が必要でした。でも、毎年多くの命を救えることですべてが報われます。一つの心臓の鼓動を聞くためになら、もう一度最初から、同じ苦労を経験してもいいくらいです」

「フライングドクターズ」は英国のヘリコプター救急医療サービス企業「イースト・アングリアン・エアアンビュランスサービス(East Anglian Air Ambulance Service)」から最初の技術サポートを受けた。事業で得た利益の一部は「フライングドクターズ基金」に回され、ナイジェリアの公共ヘルスケアプロジェクトに使われる。

今のところ事業の現在価額は公開予定がないが、エアアンビュランス(救急医療搬送)というこのビジネスは、ここ10年間のナイジェリアのヘルスケア分野におけるもっとも重要なイノベーションの一つと言えそうだ。


なお、彼女は現在も「フライングドクターズ・ナイジェリア・リミテッド」の経営を続けている。2017年にはナイジェリアの民間団体「NIGAV(ナイジェリアン・エヴィエーション)」によって「すぐれた個人医療者」として表彰された。またアフリカの女性起業家支援団体「Lioness of Africa」も、才能ある起業家・経営者として彼女に注目している。

文=石井節子 写真=Forbes AFRICA

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