ベーブ・ルースらがプレーした最長歴史の球場座席の木片を探して

1911年当時のミルウォーキー、ボーチャート・フィールド


また、2018年1月19日から4月28日まで、歴史協会が主催する「Back Yards to Big Leagues: Milwaukee’s Sports and Recreation History」というミルウォーキーのスポーツ史に関する特別展示の中で、ボーチャート・フィールドの木片を紹介する予定であることを事前に教えてくれたのだ。これは嬉しかった。

僕の一通のメールがきっかけで、この歴史的な球場の木片が見つかり、更に、今回の特別展示に発展したのだ。僕が諦めていたら、倉庫の奥で眠っていたボーチャート・フィールドの木片が息を吹き返すことはなかったかもしれない。完全に忘れられていた歴史の生き証人が日の目を見ることになったのだ。

アメリカの国技である野球。その長い歴史は、アメリカにとって貴重な財産だと思う。その歴史の伝承活動の推進に、外国人の僕が僅かながらも力になれたような気がした。


ミルウォーキー郡歴史協会が主宰したスポーツ史の特別展示の様子

ボーチャート・フィールドは、ミルウォーキーのダウンタウンの北、North 7th Street、North 8th Street、West Chambers、Burleigh Streetで囲まれた一画にあった。跡地は1963年まで子供用のプレイグランドとして使用されたが、その後、ベロイトからミルウォーキー経由でグリーンベイまでの約308km続く、州間高速道路43号の建設が始まり、跡地は毎日、約15万人が車を走らせる高速道路になった。

球場があった場所に再び訪れることにした。前回は、近くの陸橋から跡地に完成した高速道路を見下ろしたが、今回は、高速道路を車で走ってみることにした。

可能な限りゆっくりと、何度も何度も走りながら、必死で球場の痕跡を探した。長方形の球場の形状が区画として残っているものの、そこはアメリカのどこにでもある片側3車線の高速道路であり、その場所に球場があったことは、全く想像できなかった。


ボーチャード・フィールドの跡地は、現在州間高速道路43号に。可能な限りゆっくり走ってみる。

しかし、ミルウォーキーの人々は、この長きに亘り、ミルウォーキーのプロ野球を支えた球場の歴史を大切にしていた。


跡地の数ブロック東にある公園内の記念碑

2008年8月、ミルウォーキー郡歴史協会は、跡地の数ブロック東にあるクリントン・ローズ・パークに記念碑を設置した。また、跡地の北西の地域は、今でもボーチャート・フィールドと呼ばれているのだ。

文=香里幸広

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事