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シネマの女は最後に微笑む


医学生のシモンから妊娠した恋人を紹介され、さらに医師ではなく助産師を目指すと聞かされて落胆するクレール。母のようになりたいと思われているのだから喜んでもいいのだが、これまで張りつめて生きてきたクレールには、「新しい男の生き方」が理解できない。

そんな彼女を見守る長距離トラック運転手のポールの、柔軟で温かみのある対応が素敵だ。優しいが出しゃばりすぎず、ユーモアを忘れない姿勢に、クレールもだんだん惹かれていく。

ベアトリーチェだけでなく、シモンもポールも、クレールの固さに亀裂を入れ、ほぐしていくような役割を担っていると言えるだろう。

親から子へ、そのまた子へ

農園の場面では、印象的なシーンがいくつかある。

ランチの後、セーヌに飛び込んで泳ぐシモンを捉えたロングショット。泳ぐシモンは点景となり、大河セーヌと橋とその向こうに広がる街や丘など、広大な景色が望遠でゆっくりと映し出されていく。次に、ポールがふと隣のクレールの注意を促して指し示す空。曇り空の下を、渡り鳥の群れが整然と隊列を組んで、鳴き交わしながら飛んでいく。

そして、農園の小屋でポールと愛し合った後に、開け放たれた入り口からクレールが目にする、美しい花々とその向こうの木立と川。セーヌ川はさまざまなシーンでさりげなく登場しており、この物語の影の主役と言ってもいいだろう。

それらのシーンから感じられるのは、人間という存在の小ささと、たくさんの営みを抱え込んだ世界の懐の深さだ。

また、全編通して何回か挿入されるのは、実際の妊婦さんを募集して撮影されたという出産シーン。ベテラン助産婦で周囲の信頼も篤いクレールの真摯な働きぶりと同時に、彼女がリアルな「生」の始まりに関わっている女性であることが示されている。

閉鎖間際の病院でクレールが最後の新生児を取り上げる感動的な場面の、親から子へ、そのまた子へと受け継がれていく生の流れは、見る者の中でセーヌの悠然たる流れと重なってくるだろう。

脳腫瘍の手術を受けたベアトリーチェを、クレールはアパートに引き取る。ベアトリーチェのルージュを借り、髪を降ろしてポールに会いに行ったり、父の思い出話をしながらベアトリーチェの洗髪やマッサージをしてやったりするのは、人生に対して少しゆとりをもった構えができるようになった証だ。

一方、術後の経過の思わしくないベアトリーチェは、ますます死を意識するようになる。

秀逸なのは、二人で亡き父の昔のスライドを見ている最中に、その映像を投影したドアを開けて、彼の若い頃とそっくりのシモンが入ってくるシーン。ここでベアトリーチェは、自分の愛した人と、血の繋がらない娘そして彼女の息子との、切り離すことのできない関係性を目撃し、同時に、自分はそこには決して入り込むことができないのだと悟る。

ベアトリーチェが自ら幕を引くのは、クレールの心からの笑顔を確認した後で、これ以上自分が彼女の人生に関わるべきではないと思い定めたためだろう。それを、彼女の自然な選択として受け入れることにしたクレール。

いずれにも、「個」を尊重するフランス人らしい人生哲学と、さまざまな経験を積んできた大人の女の静かな達観がうかがえる。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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