現在手がけているのは、京都、大阪、富良野、層雲峡、湯河原の5カ所のホテルや旅館。学生時代から起業する人も珍しくなくなってきたが、彼女が挑んでいるのは、ホテル経営というあまり若者に選ばれてこなかったジャンルだ。
──ホテルプロデューサーになりたいと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
子どもの頃に家族でアメリカ横断旅行をした際、どこに行ってもホテルは全部同じような部屋だったことに問題意識を感じたのが原体験です。
毎日車で移動して違う土地に訪れているのに、ホテルの部屋はどこも似ていてがっかりした。極端に言えば、客室に入ってしまえば日本にいるのと変わらないような気にもなりました。
旅を演出するような、街の空気感を織り込んだホテルを作れたら素敵だなと思い、10歳の頃からホテル経営を志したんです。
──どのようにスタートしたのでしょうか。
大学2年生だった2015年に、母と二人三脚で始めた富良野のペンションが出発点です。そのときは、母と二人で接客や清掃、予約管理などすべてをこなしました。
日々の経営の中で学ぶことも多かったし、お客さんから直接感想を聞いて、改善や発展につなげることも多かった。このときの経験や失敗が、今のホテルプロデューサーとしての活動の核になっています。
──どのような失敗があったんですか?
二人とも宿泊施設の運営は初めてだったので、失敗はたくさんしました。たとえば、内装ですね。業者の方との連携の取り方がうまくいかなくて苦戦しました。
というのも、私がホテル経営を志した原点が、土地の特徴をホテルの内装やデザインで表したい、という思いだったから、そこへのこだわりは特に強かった。
でも、依頼の仕方がうまくいかないこともありました。自分の思いを設計に落とし込んでもらうための段取りや伝え方がとても重要だったのですが、最初はそれを知らずに進めていたので苦労しました。