無能だった私を変えてくれた凄い人たち──クリエイティブディレクター 横尾嘉信さん(後編)

横尾さんがエースの野球チームに誘って頂き、翌年には、諸先輩方を差し置いて、主将をさせて頂きました。その経験は、その後の仕事で活きました


月曜、私のこの案が採用されました。2倍速の映像なので、もともとリップシンクロ(しゃべっている言葉と唇の動きが合う)はしていません。声を吹き替えるだけで、解決できました。この時に、横尾さんに言われたこと。

「この土日に、誰よりもこの課題について考えたのは、松尾だと思う。(クリエイティブのように)正解がない仕事は、年次とか関係ない。考えた人が勝つんだよ」 

この言葉は、これまで仕事で行き詰まった時に、何度も私を蘇らせてくれました。

また、横尾さんの下に配属されてすぐに、あることが言い渡されました。

「俺が許可を出すまで、ゴルフは禁止。ゴルフはすごく面白いから、キミのように体育会系の人が始めると、のめり込んで練習をするようになる。そうなると、仕事へのエネルギーが取られてしまうから」

当時、広告会社がスポンサーを接待するゴルフ、制作会社から接待を受けるゴルフが、平日、週末を問わずに盛んに行われていました。横尾さん自身もゴルフに熱中されており、周りで仕事に身が入らずに崩れていく人たちを見ていたから、その魅力と危険性を痛感され、アドバイスではなく、禁止と言えたのだと思います。

3年前、横尾さんの退職のお祝い会で、「ゴルフの許可、まだ頂けないでしょうか?」と訊いたところ、「まだ許可してなかった!?」と驚かれ、ついに許しが出ました(笑)

「たら」「れば」の話に意味はありませんが、もし、新人の頃からゴルフを始めていたら……。人生の愉しみは、もっと増えていたかもしれません。でも、しなかったおかげで、若い頃の私が仕事に集中でき、仕事の愉しさに目覚められたのは事実です。

何かを成すためには、「しないことを決める」。身を以て学ぶことができました。

そして、横尾さんは時々、仕事とは全く関係のない、やや重い「社会問題」をテーマに論じ合う時間をつくってくれました。例えば、「夫婦別姓の是非」や「安楽死の是非」についてなど。

広告クリエイティブの仕事は、面白い企画をつくるだけでは終わりません。その企画を売って、採用してもらうことが重要です。どんなに面白い企画でも採用されないと、世の中には出られません。それまでの労苦がすべて水泡となってしまいます。面白いことを考える楽しそうな仕事に思われますが、案が採用されないことが続いて、心の病になる人が多いのも知られざる事実です。

横尾さんは、仕事から離れたところの現実を議論することで、人には年齢や立場によっていろんな考え方があること。つまり、自分の考えが受け入れられないことは当たり前にあるということ。そして、社会に起きていることと自分たちの仕事の距離感を冷静に見つめることで、柔軟な思考と心を持つ大切さを伝えてくれていたのだと思います。

雛鳥が初めて目にした生き物を親と思うように、この業界で横尾さんの言動を初めて見られたおかげで、この楽しくも厳しい世界を生き抜くための智慧を数多く身につけることができました。

横尾さん、ありがとうございます。

連載:無能だった私を変えてくれた凄い人たち
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文=松尾卓哉

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