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ブラジルに学ぶ「幸福」をつくる教育 

(c) Google

海外の日本食レストランで、日本の大企業からの駐在員たちが酔っ払いながら、本社の愚痴を言い合っている。世界中でよく見られる光景だ。

一般的に、日本人駐在員は海外でも日本人同士で集まって飲んだり、カラオケやゴルフをしたりすることが多い。一方、外国人との会議になると、なかなか発言できずに居場所を失っていたりする。

筆者が総合商社に勤務している頃、素晴らしいアイデアを持っているにもかかわらず、外国人との会議でなかなか発言せずに、外国人からの理解を得られにくいという日本人をよく見てきた。発信しないと相手にされなくなってしまう。本当にもったいないことだ。

その一方、他国からの駐在員は、その国の文化に染まり、会議でも積極的に発言する。その違いはどこから来るのだろうか?

異文化の人に対して意見を言えない日本人

語学力が原因ではない。日本の駐在員達は本社での厳しい英語テストを突破して選ばれたエリート達だ。それにもかかわらず、「自分の発音では伝わらないかもしれない…」「文法的に正しいことを言わないと…」「自分の理解が間違っていたらいけないから…」と考えこんで黙ってしまう。

日本人は、異文化の人に対して、自分の意見を発信することが不得意だ。対して、他国の駐在員はどんどん自己表現をする。発音も文法も多少の間違いは気にしない。発信しないと何も始まらないという考え方で動く。そうこうするうちに、現地の人とも打ち解け、コミュニケーションが一層円滑に進んで関係を築いていく。

この問題は、日本のサービス業の海外展開がうまくいかないケースが多いことと無関係ではないだろう。

20世紀に活躍した日本のメーカーは、性能の高い製品を作ることができれば海外でも売ることができた。しかし、今の時代、海外でサービス業を展開しようと思ったら、その国の人々と交流しながら、その国の文化に根差したサービス業を作り上げていく必要がある。コミュニケーションが苦手な日本の企業が苦戦するのもうなずける。

日本の企業が海外企業を買収した後に、買収先の企業の外国人従業員との関係を築けず、経営に失敗するというのもよくある話だ。日本人はもっと自己表現力を身につけ、価値観の異なる人とのコミュニケーション力を高めることが急務だ。

ではとにかく自己表現すればよいのか? そんなはずはない。中身のない自己表現を繰り返しても何の意味もない。基礎学力に基づく深い思考とそれを自己表現する力の両輪が必要だ。

文=稲田大輔

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