すると、調査会社に勤める知人が「いやいや、大きな声じゃ言えませんが、実際、本当に不正を全部見つけようと思ったら、大変なことになるんじゃないですか?」という。
確かに、企業には、未必の故意としても、どこかに何らかの瑕疵はあるだろう。叩いて全く埃の出ない企業なんて、世界中で探す方が難しいかもしれない。
そのうえで極論するなら、日本企業で大事なのは、実際は多少違っても「あの企業は日本企業だから、ものづくりはきちんとまじめにやっているだろう」というイメージが保てるかどうかだ。それこそが、今われわれが世界で享受している「ものづくり日本」という「ジャパン・ブランド」の一側面でもある。
国は企業のアンブレラ・ブランド
この「ものづくり日本」への信頼は、戦後、テイジンなどの軽工業に始まり、重工業、白物家電、AV機器、そして車と、今までの日本製品の「丈夫で、壊れにくい」という品質が、営々と築いてきたものだ。
第二次世界大戦直後は、日本製品といえば「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。しかし、先人たちの努力で、そのイメージは、高度経済成長期に、一気に「安くて、よいもの」に変わり、バブル後期以降は、もはや「安くはないけれど、よいもの」のイメージを獲得し、それを保っていたわけである。
日本企業への評価の転換は、さながら、安いだけと思われていた中国企業の先進性への評価が、今まさに高まっているのと同じような状況であったと言ってもよい。
国のブランドイメージと企業のブランドイメージは、簡単に分かつことはそもそもできない。たとえば、コカコーラやマクドナルドがアメリカという国のイメージに影響を与えているのか、アメリカの持つカジュアルなイメージに両社が添っているのか?
ダイムラーやヘンケルがドイツのイメージに影響を与えているのか、ドイツ企業の製品と聞くから、飾り気なく実用的で、丈夫そうといったイメージを持つのか。それらは分かつことはできないのだ。
企業は、国のブランドイメージをうまく使って商売をすればいい。国のブランドは、その国に所属するすべての企業のアンブレラ・ブランド(傘のようにその下にあるブランドのイメージに影響を与えるブランドのこと)なのだ。良いイメージであることは、とても重要なのである。
しかし、国のブランド戦略を描き、そのイメージを一元的にコントロールすることはまずできない。なぜなら、たとえばものづくりの観点でつくられる日本のイメージは、世界で広く認知されるすべての日本メーカーのイメージとジャパンブランドが相互に強く影響を与え合っているからだ。
海外に本格展開を始めてから30年程度のトヨタを筆頭に、今、世界には日本のメーカーが数多く進出している。それらどの企業にも、大なり小なりジャパンブランドを担う責任が生まれているのだ。ちなみに、このような国のブランドと企業のブランドの関係を、マーケティングの世界では「ソシオ・カルチャラル」という言葉を借りて表現することがある。