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国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル


杉山さんは、ツアーに出発する前、約60年ぶりに解禁となったウラジオストクの街歩きのために、次のような資料を用意した。

・市内地図(1915年に作成されたもの)
・ウラジオストク年表
・日本人商店の広告集
・古い「浦潮案内」(戦前に発行された旅行案内書)からの抜粋

帰国後、すぐに彼女は前述の本を書き上げ、自身が用意した古い地図に、現地を訪ね歩いて見つけたいくつかの変化を書き加えた「ウラジオストク案内図」を、著書のなかに収録している。これは、2011年に作成された「浦潮散策マップ」の原型となるものといってもいいかもしれない。

このような背景を持つ杉山さんをはじめ、ロシアとゆかりのある何人もの日本人と出会った後、ゾーヤさんは彼らと文通などを通じて交流を始めた。さらに、グラスノスチで情報公開が進むなか、ロシア側に眠っていた20世紀初頭の資料を集め、当時この地に住んでいた日本人居留民に関する研究を進めた。

「多くの日本の方に当時のウラジオストクの絵はがきや家族に宛てたお手紙などを見せていただきました」とゾーヤさんは話す。

その成果が、14年にロシアで刊行された「ウラジオストク 日本人居留民の歴史 1860~1937年(日本語版書名)」(2016年、東京堂出版刊)だ。


『ウラジオストク 日本人居留民の歴史 1860~1937年』の日本語版。ロシア語版もある

同書は、初めて日本人がウラジオストクに現われ始めた1860年代から、1930年代に立ち去るまでの記録を、膨大な資料を元に整理している。当時の日本企業や商店、無名の個人の名前も数多く登場する。ロシア人と日本人がお互いを身近な存在として受けとめ、共生していた日々が綴られている。

歌手・加藤登紀子さんの父親も

日本人が忘れていた歴史を、後世に伝えてくれたゾーヤさんだが、彼女の研究に大きな影響を与えた、もうひとりの日本人女性がいる。戸泉米子さんだ。

「戸泉さんは、1921年、9歳のとき、ウラジオストクに来て、その後、極東総合大学教育学部ロシア語科を卒業しました。とてもきれいなロシア語を話す方です。ウラジオストクの西本願寺の住職、戸泉憲龍氏の奥さんになられました。1936年に西本願寺は閉鎖され、ご主人は逮捕されましたが、1937年に彼女はいったん帰国しました」

戸泉さんは、2002年に自伝である「リラの花と戦争」(福井新聞社刊)を出版している。同書には、1930年代に現地で見聞したスターリン時代の粛清や、敗戦直後にウラジオストクに戻って体験した収容所生活などが赤裸々に語られている。彼女はゾーヤさんが書いた歴史を、実際に生きた人物なのだ。

戸泉さんは2009年に亡くなられたが、長く交流を続けていたゾーヤさんは、生前に病床の彼女を訪ねたとき、「日本とウラジオストクをつなぐ仕事を引き継いでくださいね」と言われたという。

「いまもその言葉を忘れない」というゾーヤさんは、ウラジオストクの「日本語の母」とでもいうべき存在だ。ウラジオストクを訪ねた際、現地で街を案内してくれる若いロシア人ガイドたちの多くは彼女の教え子だからである。

11月上旬、ゾーヤさんを喜ばせたある出来事があった。89年の観光ツアーに参加していた日本人のひとり、加藤幸四郎さん(故人)の孫である加藤暁子さんがウラジオストクを訪ねていて、偶然に出会った。

1910年(明治43年)生まれの加藤幸四郎さんは、杉山さんの本のなかにも、「京都ハルビン会のメンバーで、ロシア料理店を経営しているKさん」として登場している。

戦前、ロシア語を学び、ハルビンに渡っていた彼は、自伝「風来漫歩」(1981年、櫻書房刊)のなかで、学生時代の1931年(昭和6年)3月(満洲事変の直前)に、ウラジオストクを訪ねたことを書いている。ちなみに歌手の加藤登紀子さんは彼の娘だ。

そして、本のなかに登場するロシア料理店とは、帰国した幸四郎さんが1957年に東京・新橋に開店した「スンガリー」で、現在では新宿に2店舗ある。ゾーヤさんが会った孫の暁子さんは3代目のオーナーである。


ロシア料理店「スンガリー」新宿三丁目店。スンガリーはハルビンを流れる松花江の意味

ゾーヤさんは、暁子さんの顔をしみじみ眺めながら、懐かしそうにこう語った。

「初めての日本からの観光ツアーが来てしばらくした後、私はソ連のツアーガイドのひとりとして東京に行き、幸四郎さんとお会いしました。都内のワインバーに行ったことを覚えています。そのとき、娘さんである加藤登紀子さんのレコードを初めて買いました。白いドレスを着た登紀子さんはとても素敵でした」

1992年に、ウラジオストクが正式に開放されて以降、かつての居留民やその親族たちによって、当時の足跡をたどる試みが続けられていたが、同時に、ゾーヤさんをはじめとするロシア側からも歴史の掘り起こしがあった。

そんな彼らには共通の思いがあった。いまウラジオストクを訪れる日本人が少しずつ増えており、その努力はようやく報われつつある。日本とウラジオストクをつなぐ複数の絆が、再び静かに結びつき始めているからだ。

連載 : ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル
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文=中村正人 写真=佐藤憲一

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