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国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル

鷲の巣展望台から眺めるウラジオストク港と2012年にできた金角湾大橋

19世紀後半から20世紀前半にかけて、多くの日本人が暮らしたウラジオストク。市内には、その当時の在留邦人の活動を物語るスポットが数多く残っているが、それらを訪ねるのに役立つの街歩きマップがある。

「浦潮旧日本人街散策マップ~日本にゆかりのあるウラジオストクの名所・旧跡巡り~」(2011年7月発行、以下「浦潮散策マップ」と表記)がそれだ。

日本では、ウラジオストクに在留邦人がいた歴史があったことなどすっかり忘れられているのに、誰がどのような理由で、このマップをつくったのだろうか。

「浦潮散策マップ」の制作に関わったロシア人のひとりが、極東連邦大学で日本語を教えているモルグン・ゾーヤさんだ。ゾーヤさんは、1947年、ウラジオストク市郊外のルースキー島生まれ。高校時代から日本語を学び、卒業後はソ連の国営旅行会社インツーリストに所属する。


このマップは駐ウラジオストク日本国総領事館とアルセーニエフ博物館が共同で制作した。モルグン・ゾーヤさん(2018年11月撮影)

そんな彼女に転機が訪れたのは、ペレストロイカが始まった80年代後半のこと。89年5月に、日本から戦後初めての観光ツアーが、当時、軍港だったウラジオストクに、客船で訪れることになり、彼女は通訳ガイドを担当することになった。

そのときツアーで訪れた日本人のなかに、戦前のウラジオストクや当時は満州国だったハルビンに住んでいた、ロシアとのゆかりが深い人たちがいた。

2014年に刊行「日本人居留民の歴史」


ハルビンのシンボルは、タマネギ屋根のロシア正教会、聖ソフィア寺院

このツアーに参加した杉山公子さんは、著書「ウラジオストクの旅―海の向こうにあった日本人町」(1989年、地久館刊)のなかで、次のように書いている。彼女は1928年(昭和3年)、ハルビンの生まれである。

「近年、私は自分のふるさとハルビンの歴史をもとに、北の地に生きた明治大正期の日本人のことを調べている。調べてみるとウラジオストクは、十九世紀末に都市建設の始まったハルビンにとって、源流とも母港ともいえる存在で、そのことを知ってから『一度は行ってみたい町』になっていた」

中国黒龍江省のハルビンは、もともと清国領の松花江(満洲語はスンガリー)のほとりにある小さな村だったが、19世紀末、シベリア鉄道を敷設する際に、太平洋へとつなぐ最短距離に位置する場所だったために、帝政ロシアによって造られた都市である。現在もロシア建築をはじめ、当時の欧州で一世風靡していたアールヌーヴォーやアールデコといった美しい様式の建築が多く残っている。

文=中村正人 写真=佐藤憲一

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