そのヒントを探るべく、日本酒蔵の多様性を引き継ぐことを目的に事業展開を進めるナオライのメンバーが、これからの社会を創るキーパーソン、通称「醸し人」に迫ります。第1回目はマツダ代表取締役副社長の藤原清志さん。(前編はこちら)
車を愛すからこそ問う「車の本質的な価値」
三宅:テクノロジーが進化するほどに、あらゆるものの工業化が加速しています。私自身は、それに危機感を覚えると同時に、「元々持っていた価値を取り戻すことができたら、それが未来に繋がる」ということを感じているのですが、藤原さんはこの状況をどのようにご覧になっていますか?
藤原:本来の在り方に戻っていければ、その分生き伸びていけます。車もそう。今は単に便利なものと思われがちだけど、車が開発された当初は心の喜びがあった。「今まで行けなかった場所に自由に行けるようになった!」とかね。自分にできなかったことができるようになる。そんな達成感が得られる喜びこそ、車が本来提供できる価値だと思うわけですよ。
でも、そこを忘れてしまうと単なる移動手段としか見られなくなる。すると、ただ便利にして沢山売れば良いって話になってしまう。だから最終的には自動運転に行き着くんだけど、「本当にそれでいいの?」と思います。
三宅さんの日本酒業界も、ただ飲めれば良いではなくて、本質を持ち直すことができれば、絶対に価値は上がるし、生き延びることができると思う。
三宅:でも、大半はそういう考え方はしない。というか、考えない方が圧倒的に楽だと思うんです。
藤原:思いを貫いて、提供し続けていくのが大変だからね。自動車業界で言えば、今は自動運転の方にいくのが一番簡単なのよ。だけどマツダは「そうしません」って言ってる。でないと、一番大事な「運転する喜び」を忘れてしまうから。だから、皆が言わないようなことをずっと言い続けている。
三宅:そのような考え方になったのはなぜですか?
藤原:車が好きだから。車を愛しているから、かな。
三宅:ストレートに言われたら、なんかこっちが照れちゃいますね(笑)。
藤原:(笑)。私自身が車に対して感じている愛情や価値は絶対に忘れたくないし、忘れるようなことには拒否反応が出ます。そんな反応が出て「なにか違う、違うぞ……」って考え続けると、「あぁ、そうだ。大事にしたかったのは、こっちだ!」と見えてくる。
三宅:私は、弊社のある三角島で年配の方が運転しているのを見る度に、以前藤原さんが仰られていた「事故が想定される時だけ自動運転の役割が発揮されるのが、究極だ」という言葉が頭に浮かぶんです。きっと誰にでもあるものですよね、運転する楽しさって。
藤原:そう。だから多分、おじいちゃんから軽トラを奪ったら病気になるよ。例えば、運転ができなくなると農地にも行けなくなるでしょう。すると、そこで楽しみがなくなる。きっと皆さん、毎日農地へ行き、作物の成長に喜び、そして仕事が終わった後は「今日も一日、頑張って仕事したなぁ」とか思いながら車に乗って帰るわけですよね。その達成感こそが、生きる糧になっていると思うから。
だから、マツダは便利ばかりの車を作ってはいけないのよ。
元々持つ特徴を忘れずに、熟成させていく
三宅:正直、これまではテクノロジーの発展とか、ビジネスを成功させることが人類の進化だと思ってました。でも、仕事で畑に入り、自然と調和することの大切さに気づいた頃から、非効率の大切さにも気づいたんです。
藤原:女性が活躍するようになったり、経済が豊かになったのも、ここ数十年の話。当時は右肩上がりの経済成長の中で、皆が「便利、時間短縮、大量生産、安い」へ向かっていったわけたけど、これからの時代、それはあまりメジャーではないですよね。むしろ、もう右肩上がりで成長の時代は終わったのだから、次の世の中をどう見るかだと思うよ。