この失敗道場の例を挙げ、失敗についてどう捉えているかと尋ねると、有馬はこう口にした。
「どんどん失敗すればいいんです。失敗しないと成長はしませんから。ただ、同じ失敗は二度繰り返さないのは重要ですが」
そんな有馬自身も、デンソーに根づいている寛容なカルチャーの中で育ててもらったという自負がある。
礎となった仕事のひとつが30代前半でのアメリカへの出向だ。有馬はそこで、ある製品の生産準備と立ち上げを担当する。
「デンソーは『Crafting the Core』をブランドスローガンに据えていますが、アメリカ出向でのさまざまな経験が自分のコアを作ってくれたと思っています」
また、アメリカから帰国した後、「コンカレントエンジニアリング」のプロジェクトリーダーを任されたときの経験も基礎となった。その仕事は簡単なものではなかったが、なかなかうまくいかない中でも、世界をあっと言わせる製品をみんなで作ろう、みんなで一緒にやっていこうという空気感が強くあった。
これらを経て、有馬はあるとき気がついたという。
「それまでいかに、自分が自由にやらせてもらってきていたか。先輩たちが、いかに仕事に専念できる環境を作ってくれていたか。それに気がつき、ハッとしました。ああ、こういうことなんだな、と。先輩方は言わずして、自分を導いてくれてきていたのだな、と。デンソーという会社にある寛容の精神を強く感じました」
大きな赤字を抱えるイタリアの会社に社長として赴いて、再建を託されたときの経験も大きかった。
「イタリアの人は、単に『やれ』と言うだけでは動いてはくれません。そんな中、どうやって社の立て直しを図っていくか。さまざまな取り組みを行いましたが、中でもあるとき、私は社員とその家族のためのパーティーを開催することにしたんです」
パーティーはお手製のものにして、準備なども社員の手に任せることに決めていた。するとである。家族が来るということもあり、彼らはそれまでとは打って変わって自主性を発揮しはじめ、汚れていた工場やオフィスをきれいに掃除しだしたのだ。出し物も自分たちで工夫をし、当日集まった数千人の家族たちをもてなした。
「社員のマインドが少しでも変わればと思い一か八かで行ったことでしたが、そのパーティーを境に、明らかに社員の姿勢が変わったんです。このとき、人の気持ちを動かすとはこういうことかと勉強させてもらいました」
仲間の力にも助けられ、最終的に有馬は会社を黒字化することに成功する。このときに学んだことは、いま、デンソーの未来を考えていく上でも役立っていると有馬は語る。