AIはボヘミアン・ラプソディを作れるか?

フレディ・マーキュリー(1982年撮影、Photo by Steve Jennings/WireImage)


では、AIは最適化された姿だけではなく、挫折や非合理性なども創造できるだろうか? ここが第一のハードルとなるように思う。

また、先程述べたように、クイーンには2人の、全くタイプの違うクリエイターがいた。ただでさえ音楽家は自己主張が強い。ましてや天才同士となれば、意気投合したり大喧嘩したりと、さまざまな相互作用が刻々生まれ、音楽に反映されていく。

単に一人の人間を代替するのではなく、異なる複数の人間が関わることで生まれる相互作用や不確実性までAIで作り出せるのか? これが第二のハードルとなる。

もし、AIが人間を支配しようと思うなら、一人一人をネットやスマホの擬似環境で囲い込んで順応させ、誰とも深くは付き合わないし喧嘩もしない人になるよう誘導するだろう。同様に、多くの企業に「特定の検索エンジンで上位を占める」ことばかり考えさせるようにすれば、企業の広報戦略を似通ったものに誘導できる。このような形で、プログラムにリードされた画一化が進むほど、AIによる支配もやり易くなるだろう。

金融の視点から考えれば、このような形で、金融サービスのユーザーである個人や企業の側がそもそも個別化・画一化されてしまったら、もはや金融サービスの提供において人間がAIに勝つことは難しい。

今後、金融分野で人間に活躍の場が残るかどうかは、企業や個人が経済活動の中で繰り広げる出会いや思い付き、試行錯誤など、相互作用や不確実性が強く働く局面において、金融がどのようなサポートができるかにかかってくる。一方、金融サービスが単にプラットフォームの規模や大数の法則で勝負するビジネスになっていけば、人間の活躍できる余地は、ますます減っていくだろう。

そのうえで、もし遠い将来、「合理性」や「最適化」とは程遠いフレディ・マーキュリーまでAIに代替される時代が来てしまったら、その時はもう、AIとの勝負は諦めるしかない。

連載:金融から紐解く、世界の「今」
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文=山岡浩巳

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