ビジネス

2018.12.05

KDDI高橋誠が起業家精神を失わない理由 「外部の人と知恵」が未来へ導く

KDDI代表取締役社長 髙橋誠


千本は「電電公社の民営化だけでは不十分です。通信の一社独占は、消費者にとって不幸です」と、説得。のちに千本は本誌の取材に対して、「無謀で正気の沙汰ではないと周囲から散々笑われ、古巣に反旗を翻した裏切り者と批判されたが、稲盛さんから『一カ月考えて腹を決めた』と言ってもらい、私の人生は大きく変わりました」と語っている。

DDIの設立には、横浜国立大学工学部を卒業したばかりの髙橋が志願して参加。社員はたった20人。「無謀な挑戦」に髙橋は足場を置き、社会人生活は「正気の沙汰ではない」場所から始まったのだ。

千本が言うように、今以上に「新しいことへの挑戦」を世間やメディアが冷ややかに嘲笑した時代だ。ずっと安泰が続くと思われたバブル前夜に、髙橋は信念で前進するしかない場を選んだのである。

髙橋に影響を受けた人物を聞いたとき、少し照れながら「稲盛さん」と答えたのも、そんな状況下で稲盛が直接指揮を執っていたことを考えると、当然だろう。

2000年、DDIはKDD、IDOと合併。KDDIが誕生した。髙橋は一貫して新規事業を担った。なかでも、「携帯電話にモバイルインターネットを持ち込んだEZwebは、その後の事業をやるうえで原点となりました。携帯電話にインターネット機能が搭載されるようになる代表的な例です」と言う。

当時は、EZweb向けの新システム構築は社内での協力がなかなか得られず、髙橋が社外でパートナーを探し、立ち上げた。まだオープンイノベーションという言葉はない時代だったが、この体験が彼の原点となっている。

そして、「理系なので技術も好きだけど、技術を使ってどんな体験価値をお客様に提案できるかが僕のテーマ」という髙橋にとって、携帯端末に音楽配信サービスを取り入れた「LISMO」も象徴的な新規事業だという。

外部との協業を早くから取り入れてきた髙橋が社長に昇格したということは、KDDI内に協業を可能にするカルチャーが醸成されたということだろう。髙橋が言う。

「我々は通信を使って、ソリューションを提供する会社です。お客様の依頼をしっかり仕上げることも大切ですが、同じ目線になって、一緒になってビジネスを創りあげたい。お客様というより、同じ志をもったパートナーさんという意識なんです」

ECや金融、電力など、生活に関するあらゆるサービスに通信を組み合わせる「通信とライフデザインの融合」を掲げるKDDIにとって、協業はより重要だろう。今後は、消費者や企業が購入したあらゆるモノに通信が加わり、モノの接続が半永久的になる。

「自分を理解してくれるのが人間だけではなくて、いろんなモノが自分をわかってくれるようになるでしょう。そんな世界が広がると想像しただけで、ワクワクしますね」

──ソラコムとKDDIのM&Aが発表された直後、髙橋は赤坂にあるソラコムのオフィスを訪ねている。「買収」という文字がメディアにおどり、ソラコムの社員が不安を感じているのではないかと思い、ディスカッション形式で話し合いの場をもったのだ。

DDI時代の話や未来へのビジョンを語り、ソラコム社員たちからの質問に答えた。髙橋はサプライズで持参したケーキを見せると、そこにはこんな文字があった。

“STILL DAY ONE”。玉川がブログに「毎日が最初の一日」という意味で記した言葉を髙橋が見つけて、ケーキにあしらったのだ。ソラコムの社員は、「子会社ではなく、新地をともに切り開くチームの一員として迎え入れてくれたことが嬉しかった」と振り返る。

勉強会を開いては常に新しいことを求め、自らも考える髙橋に、「面白がりの原点は何か?」と聞いた。すると、面白がりの人らしく、こう言って煙に巻くのだった。

「関西人ですから」


たかはし・まこと◎1961年、滋賀県生まれ。横浜国立大学工学部を卒業後、84年京セラ入社。同年4月から第二電電に出向。KDDI統合後、2003年に執行役員、10年に代表取締役執行役員専務、16年副社長に。18年、代表取締役社長に就任。

文=藤吉雅春 写真=ピーター・ステンバー

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