知的障がい者グループホームでの共同化の様子
一例を挙げれば、嚥下困難から水が飲みにくい認知症当事者がいた。だが、ゼリーを飲み込む姿を社員は目撃する。これをヒントに、自社のアルツハイマー型認知症治療剤「アリセプト」のゼリー製剤の開発につなげる。
hhc実現のため「業務時間の1%を患者様とともに過ごすhhc活動(共同化)のために使うこと」を全社員に推奨し、現在、約1万人のグローバル社員が、小児がん病棟、知的障がい者のグループホーム、てんかん患者や認知症当事者に寄り添い、463のプロジェクトが進行している。内藤が言う。
「どうやったら患者様の満足が得られるかを考える方が、いかに売上や利益を上げるかを考えるよりも強く社員を動機付け、それがイノベーションを起こす源泉となるのです。結果はあとからついてくるもので、理念が“それはやるな、あれをやれ”と指し示すのです」
価格ゼロで22億錠を提供
2010年、内藤はある決断をする。「顧みられない熱帯病」と呼ばれる20の疾患があり、世界149の国と地域で蔓延し、感染者数は約10億人にのぼる。ほとんどが貧困層だ。内藤は、その一つで、蚊が媒介するリンパ系フィラリア症の薬剤DEC錠22億錠を「価格ゼロ」で提供することを決めた。
エーザイが得意とする技術があるし、「医薬品アクセスの向上」はグローバル企業に求められていた役目である。何よりも理念が「やるべきだ」と訴えかけている。内藤は社内にこう呼びかけた。
「無償で配布するが、これを寄付とかCSR(企業の社会的責任)と呼ぶのはやめよう」
慈善事業のような一過性のものではなく、これが本業であり、ビジネスだと訴えたのだ。熱帯病を克服できれば、人々は仕事を得られて所得が向上し、中間所得層が生まれれば、エーザイの薬を買うことができる。そんなロジックだった。内藤は「とはいえ、想定していないことがあった」と笑う。
「22億錠という量をインド・バイザッグ工場で生産すると、同工場の操業率が上がり、他の薬の生産コストが下がりました。また、国際社会で“熱帯病といえばエーザイ”と言われ、各国政府、NPO、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団、WHOといった新たなパートナーが増えたのです」
内藤にhhc理念の原点を問うと、意外にも「村田昭治先生」と、マーケティング論の第一人者を挙げた。3年前に亡くなった慶應義塾大学名誉教授だ。「大学で村田先生の講義を聴いたときにしびれた。聴く者を引き込んでいく天才でした」と言う。
「エコマーケティングというものを私は知りました。1960年代末から70年代にかけて、大学は学生運動でロックアウトされ、社会は公害問題で揺れ、あの当時、誰もがどうやったら世の中の問題を解決できるのかと考えていたんです」
内藤はマーケティング理論の最高峰であるノースウェスタン大学経営大学院(現ケロッグ経営大学院)に進学。若き日のフィリップ・コトラーらと出会った。コトラーがマーケティングの手法を「売り方」から「公共セクター」など社会的テーマに広げていき、一大潮流を起こしていた頃だ。ビジネスの概念だったマーケティングを社会問題に──それが患者の喜怒哀楽という糸口につながったという。
理念が社内に浸透した理由は? そう問うと、彼はこう笑うのだった。「好きなことだから、しつこくできたんでしょうね」。
ないとう・はるお◎1947年、東京都生まれ。72年に慶應義塾大学商学部を卒業後、米国ノースウェスタン大学経営大学院でMBAを取得。その後エーザイに入社し、88年に40歳という若さで社長就任。2014年に代表執行役CEO就任、現在に至る。また、財団法人内藤記念科学振興財団理事長なども務める。