有働由美子「私が南スーダン難民取材で感じたこと」

有働由美子


居住区では、一家族ずつ土地が与えられる。難民は国連やNGOなどの支援を受けながら自分たちで家を建てる。建てると言っても黒い土壁を練り上げ、茅葺の屋根を葺いた簡単なもので、地元のウガンダ人も同じような家に住む。敷地内では耕作も家畜の飼育も自由で、居住区内・外への行き来に規制はない。商店街もあり、美容室や露天のパン屋もある。


外で営業する美容室の様子

ウガンダ政府はなぜ難民に気前よく土地を与えるのか。幾つかの理由がある。ウガンダの大統領自身が難民の経験があり理解があること。国境を挟んでいるがもともと同じ文化を共有する民族がいるため、受け入れやすい土壌があること。人口の増加を国力の増加と等しく捉えていることなどが挙げられるようだ。

また難民居住区にはNGOや国際機関の資金や人的資源が入る。道や井戸、診療所が建設され、ウガンダの住民も恩恵を受けている。

今回の訪問はNGOのプラン・インターナショナルの視察に同行して実現した。NHKを辞めて、個人(フリー)で活動するようになって痛切に感じているのが、取材に手間とお金が“半端なく”かかるということだ。難民キャンプで取材したくても、個人で許可を取る方法もわからなかった。手探りのなかで、人づてに知ったのが同団体だ。世界51カ国で女性や子どもの保護と支援を中心に、住民の主体性を尊重した地域課題解決に取り組んでいる。

冒頭で触れたヘレンのインタビューも同団体のカウンセラーのおかげで実現した。ヘレンはたった16歳で4カ月の女の子の母親になった。今、愛おしそうに我が子を抱く彼女だが、急激な環境の変化と突然の妊娠・出産で心と身体に大きな負担がかかり、塞ぎこみがちになっていた。ウガンダ人カウンセラーは彼女のもとに通い、ケアをしている。


4カ月の娘を愛おしそうに抱くヘレン

ヘレンもたった数年前までは、南スーダンで共働きの両親のもと、ごく普通に中学校生活を楽しんでいた。悲劇は突然始まった。街が兵士に襲撃され、政府軍の兵士だった父の行方はわからなくなり、母とも連絡が取れなくなった。彼女は着の身着のままで弟妹たちを家から連れ出し、国境まで歩いて逃げてきたところを難民居住区で保護された。

悪いことは重なった。母を心配して自宅に電話すると、身知らぬ男が電話口に出て「母親はここにいる。この電話の内容を他に喋れば、母親の命はない」と脅された。不安に駆られたヘレンは弟妹たちを難民居住区においたまま、南スーダンに向かった。結局母親は見つからず居住区に戻る途中で、身知らぬ男に声をかけられた。食事をもらい、彼の家に泊まったが、数日過ぎると男はいなくなった。妊娠が発覚したのは、難民居住区に戻ってきた後のことだ。

妊娠中は父と母を思い出し泣いてばかりの毎日だった。大好きだった学校にも行けない。里親に出された弟妹たちのことにも心を痛めた。16歳の心と身体はボロボロになっていた。

彼女の体験を聞き、私は言葉を失ってしまった。

彼女はたった一人で、生まれたばかりの赤ん坊と弟たちの面倒を見なくてはいけない。途方に暮れる彼女に「将来を描け」「夢をもって」と声をかけることは、大人のエゴだ。彼女に経験を聞くこと自体も、また大人のエゴではないかと思った。それでも彼女が辛い体験を語ってくれたのは、プラン・インターナショナルのような支援によって難民居住区が支えられていると理解しており、「支援の呼びかけに協力したい」という思いからだ。私は彼女のその気持ちに激しく心打たれた。少しずつ話しているうちに表情も和らぎ、立ちあがって家を案内してくれた。

「これを見て。家で鶏を飼っているの。卵が生まれるの。家の中はこうなっているの。ここで寝るの。料理はうまいほうなの。これは豆を煮ているの。壁は自分の好きな生地の切れ端を張っているの。弟たちは靴がないから、買ってあげたい。いつかは学校に行ってみたい」。十代の少女らしい笑顔を見られた。


ヘレンとヘレンの兄弟たち。
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文=有働由美子 写真=金井塚太郎 撮影協力=プラン・インターナショナル

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