ネーミングが世界をつくる


まず、そもそも人々の心をわしづかみにする宗教は、テクノロジーと相性が良い。東大寺の僧職に就く知人に、大仏様を目の前にして、創建当時のことを懇切丁寧に解説していただいたことがあった。今や貴重な、しかし燻んだ遺物としての伽藍や仏像も、1200年以上前の民衆の眼には、質実ともにキラキラと眩しく輝くハイテクノロジーの産物だったのだそうだ。

人の感情をシェアするSNS、感情を昂らせるEDM、現在、人々に最もわかりやすいハイテクの代表格ドローンと、どれも宗教にマッチするはずだ。それらのテクノロジーを「#ナムい」のレッテルで、世の中に発信し、拡散させるのは、とても理にかなった手法だと思ったのである。そして、「ナムい」は浄土宗の今日的な表現にもなっているのだと納得した。

ディズニーの主題歌よりもしっくりくる

今年、第17回小林秀雄賞を受賞した、「恐山の禅僧」と呼ばれる南直哉さん著の「超越と実存」を読んでいた。仏教史は始祖であるお釈迦様が発見した「無常」という根拠の無い「実存」と、言語的根拠を求める「超越」の間の往復運動だという独自主張が見事だった。

この歴史的なパースペクティブに立って、著者は、法然を思想的革命者に位置付けた。それまでの日本のアニミズム的「ありのまま」主義による包容から、南無阿弥陀の念仏のみによる一神教的「超越」による「ありのまま」主義の肯定への革新と評価しているのである。

「ナムい」のオリジネーターである浄土系アイドルは、「その人にとってのナムがナムだと考えているので、使い方は様々だし、たくさんあるからこそおもしろいかなと」と述べている。

つまり、人それぞれのどんな解釈でも「ナムい」と言っていいし、「ナムい」と言いさえすればそれで良し。まさに今様の法然の言葉を読むがごとく、ではないか。「ありのままで」と朗々と歌われたディズニー映画の主題歌よりも、しっくり来る気がするのは日本的感性ゆえか、わたくしがオッサンなだけなのか。

3年前、京都のお寺の生まれで、ビジネス誌記者の鵜飼秀徳さんが、著書の「寺院消滅」で問題提起された、地方の菩提寺の危機を解決するには、若い世代の仏教ファンを増やすしかないのが現実である。

先日、日経新聞の日曜版のコラムで読んだ芥川賞作家で福島県三春町のお寺の住職である玄侑宗久さんが、ネット社会の登場によって、主に地方出身の孤独な若者たちのコミュニケーションの場でもあった教会や寺院、さらに新宗教すらも不要になってきている現実を憂いていらっしゃった。

ならば大半を占める老信者に眉をひそめられようとも、前述の知恩院のように、あえて衰退の原因たるネット社会に飛び込み、その場に最適な方法で若年層に訴えて、中長期的な生き残りを図るのは、真っ当な戦術だと言える。

これから日本という国土に住まう者が直面するのは、「葬儀難民」「火葬難民」に自分もなりうるという危機だ。このまま日本は「弔いレス社会」になるのか。「葬儀優先予約権」がキャッシュレスの高値で売買される社会は確実にやって来るだろう。わたくしは自らの行く末を案じながら、それをも「#ナムい」と合掌する。

連載 : ネーミングが世界をつくる
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文=田中宏和

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