現実を受け入れながら夢を見る 「矛盾」がある人が実は強い理由

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「現実を受け入れる」と同時に「夢をまっすぐ見る」

それでは冒頭の話に戻って、「現実を受け入れる」と「夢を描く」を同時に行うことの解説をしたいと思います。

「現実を受け入れる」という思考が由来する事象の時間軸は、現在を含む現在以前の「過去」に起こってきたものです。当然ながら現実的な思考は現実に起こったことがベースになっているからです。


逆に、「理想を追い求める」というのは思考の時間軸が、現在を含まない未来にあります。現時点で現実に存在するなら理想ではないからです。


つまり現在・過去に起こった事業の影響をより受けると現実的な思考となり、未来に起こりうる事象の影響をより受けると、理想ベースの思考となります。

ここで、「現実を見ること」と「夢を見ること」が矛盾しうるのは、人は限られた思考枠の中では左を見ながら右を見る、というのがなかなか難しいからです。さらには、主観が付加されると、その主観の対象とする思考枠と自分の結合が強くなってしまい、両方の思考枠で見ることができなくなってしまいます。

例えば、前述の「一人の命と多くの人の命どちらが大事か?」という問いに対して、ほとんどの人は主観が入らない限りは多くの人の命を選択するでしょうが、その一人の命がもし自分の子供やとても大事な人であれば、他の思考枠で捉えることができず、答えは変わってきます。


それと同じで、例えば現在・過去の事象から「とても辛い思いをした」などの主観が付加されると、より過去の思考枠との結合が強くなって未来の思考枠が薄れてしまい、結果的には「現実で辛い思いをすると夢を描けなくなる」という現象が起こります。

そのため「とても辛い思いをした」となると、本当はそれ以外の思考枠があるにも関わらず「現実とは残酷なものである」という視点に捉われがちになります。逆に過去「とても良い思いをした」という大人が、過去の成功体験ばかりを語るのはありがちで、それ以外のその他の思考枠で未来を考えることができなくなってしまっていることに気づいていません。

これは、(心理学者レオン)フェスティンガーが唱えた「認知的不協和」と同じで、主観と事実の認識に矛盾が出ると、事実の認識を変更してしまうというもの(イソップ物語で、葡萄を食べられなかったキツネが、その葡萄は酸っぱかったはずだという事実認識をすることで自己防衛をするようなもの)です。

前述で「矛盾は存在せず、複数の主観的思考枠の視点が存在するだけ」という記述をしました。では複数の思考枠を認識するためにどうしたらいいかというと、左を見ながら同時に右を見ること。不可能に思えますが、適切な距離を置いて全体を見てしまえば簡単なことになります。



つまり「世界を純粋にまっすぐに見る」とは、「あらゆる思考枠の視点を持つことを純粋に受容することだ」と考えています。

複数の視点を受容できると、たとえ過去から不条理な現実の影響を受けたとしても、それも一つの思考枠だし、他視点で未来からの影響も同じくその一つだよね、とフラットな視点で世界を見渡すことができます。
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文=高橋祥子

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