キャリア・教育

2018.12.09 12:30

「日本では考えられない、突然の大出世」 美術館ディレクターのグローバル思考


約10年前のNYでは、ストリートキャスティング(プロモデルでなく、友達や一般人を被写体にする)の撮影が多く、彼も、ライアン・マッギンレーをはじめとした写真家に依頼されて被写体を務めていた。舞い上がっても仕方ない環境だった。

「モデルを目指したことは一度もないですが、クラブにいる時に軽いノリで頼まれて、同じように軽いノリで受けていたから、誰にどんな企画の写真に撮られていたかよくわからない状態でした(笑)。今思うと、フォトグラファーの周りには目的意識を持って寄っていく人が多かったので、逆に僕が目的意識がなく接していたから人間性に興味を持ってもらえたのかなと思います」


残念ながらライアン・マッギンレーの写真は受け取り漏れていた。写真はレスリー・キーに依頼されて撮影したもの。新宿マルイメンの広告に使われた。写真提供:OUT IN JAPAN


しかし、ある日突然「自分は荒んだ生活をしている。このままでは人としてダメになってしまうから、自分の好きなことで仕事をしたい」と思うようになる。そして、母親の影響で幼少期から自然と興味を持っていたファッションの方を向き、自分の好みのテイストのヴィンテージショップでアルバイトを始めた。今まで自然の流れに身を任せていた人生で、初めて自分の意思で決断した時でもあった。

「好きなことを仕事にしたい」と言う、誰しもが抱く些細な動機だが、24歳の青年はこの決意で人生が変わった。しかし、人間性・運・センスなど、元々持っているものがあった彼にはそれだけで充分だったのかもしれない。

日本では考えられない大出世

「ある日突然、ショップに来店した『パトリシアフィールド』のブランド・ディレクターに声を掛けてもらい『うちのショップで働かないか?』と誘ってもらえました」

パトリシア・フィールドは『セックス・アンド・ザ・シティ』や『プラダを着た悪魔』の衣装を手がけた世界的に有名なアメリカ人スタイリスト。親日家でもあり、安室奈美恵の楽曲『NEW LOOK』のミュージックビデオの衣装を手掛けたことでも知られている。彼女はスタイリング業と並行して自身のブランド「パトリシアフィールド」を経営していた。

そうして誘われた翌週には顔合わせのような面接に行き、アルバイトのショップスタッフとして働くことが決定した。


左からHiraku、パトリシア・フィールド 写真提供:Hiraku

「ゲイと女性しかいない職場だったため、偏見もなく働きやすい一方で、ゲイ特有の恩恵を受けることがなかったです。ゲイはストレートな男性の競争心、ストレートな女性の警戒心を油断させるので、大目に見てもらえることがあったり、人と仲良くなりやすい傾向にありますが、それが使えない世界でした(笑)」

仕事をこなしていく次第に周りから信頼されるようになり、パトリシア・フィールドのスタイリング、ブランド、ショップ業務など、何でも任されるようになった。

それから、わずか2年で大出世を果たす。「パトリシアフィールド」のクリエイティブ・ディレクターに就任した。

大学は社会学部だったため、ファッションを専門的に学んだことはなかった。日本でブランドのクリエイティブ・ディレクターといえば、創始者か、そうでなくても専門的に学んだ人が大半だったため、考えられないような大出世だった。

そして、彼が手がけたコレクションの代名詞とも呼べる「VOGUE」シリーズが誕生した。ビヨンセやマイリー・サイラス、ソウルジャ・ボーイ・テレム、G-DRAGONら多くの海外セレブが愛用したこのシリーズは、「マドンナがデザインを盗作した」と話題になったほどだ。


『VOGUE ITALY』2014年6月号の表紙(スティーヴン・マイゼル撮影)でトップモデルのアドリアナ・リマが着用。
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文=砂押貴久

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