伝説の「柳ビル」が紡いだ縁
鶴岡に目をかけていたのは家入だけではない。鶴岡はスタートアップ界隈屈指の“愛されキャラ”で、名だたる起業家や投資家と交流がある。
家入と束の間の時間を楽しんだ後、鶴岡は六本木グランドタワーの37階にあるオフィスに戻った。BASEは18年9月に、渋谷から六本木に移転したばかり。ビル自体のオープンも2年前。見晴らしのいいオフィスを歩きながら、「じつはここは創業の地なんです」と振り返った。
鶴岡がインターンをしていた当時のCAMPFIREは、ベンチャーキャピタルのイーストベンチャーズのシェアオフィスで活動していた。シェアオフィスは星条旗通りにあったが、まもなく六本木一丁目駅すぐそばの柳ビルに移転。BASEは、そこで産声をあげた。ビルは再開発で取り壊され、跡地に新しく建ったのが六本木グランドタワーというわけだ。
柳ビルは、7階がイーストベンチャーズ、6階が家入の運営するシェアオフィスだった。7階で活動していたのは、CAMPFIREの他、メルカリ、グノシーなどのスタートアップエリートたち。いっぽう、6階にいたのは20歳前後の卵たちで、CAMPFIREに入社できなかった鶴岡もこちらにいた。
「フロアをカメが歩いていた(笑)。7階とは空気感がまるで違って、上下のフロアの交流はゼロだった」という。
ただ、鶴岡個人は上の階の起業家たちとつきあいがあった。家入に飲みに誘われてついていくと、メルカリの山田進太郎やGREEの田中良和(オフィスは六本木ヒルズ)があたりまえのように座って飲んでいた。
「みなさんメッチャ雲の上の存在。当然、毎日ごちそうを食べたり、学生ではわからない難しい話をしているのかと思ったら、案外、普通でした。でも、だからこそ自分でも何かできるんじゃないかと、いい意味での“勘違い”ができた。一緒にいることが一番のアドバイスというか、進太郎さんや田中さんと多くの時間を過ごせたことは、すごくプラスになっています」
メルカリと田中はBASEに出資をしてくれたが、他にもSBIホールディングス北尾吉孝など具体的な支援に動いてくれた起業家や投資家は多い。イーストベンチャーズの松山太河は、BASEのユーザーが増えるのを見て起業を勧めた。出資するだけでなく、「コードだけ書いて。好きなことをしていていいよ」と、起業時の登記や資本政策など実務面を引き受けてくれた。
サイバーエージェントの藤田晋との縁を取り持ったのは家入だ。BASEを立ち上げて半年後、福岡で家入が藤田と会うという話を聞いて支援を頼んだところ、2億円の出資が決まった。
柳ビルには、不思議な引力がある─。そう問うと、鶴岡は種明かしをしてくれた。
「すぐ横に首都高が走っていて、トラックが通ると揺れる。だから賃料が安く、お金のないスタートアップが集まった。運命というより、経済的合理性の結果です(笑)」
暇になり見えた新たな問い
東京には、六本木の他にもインターネット産業の熱源となった街がある。1990年代末から2000年にかけて、“ビットバレー”と呼ばれた渋谷だ。BASEは柳ビルの取り壊しが決まった後、六本木内での引っ越しを経て、14年2月に引き寄せられるように渋谷へ移った。この地でBASEは大きく成長することになる。
当初はエンジニアとしてのスキルしか持たず、周囲に助けられながら起業した鶴岡は、いかにして起業家として成長していったのか。ターニングポイントを尋ねると、「お金、ユーザー、メンバーの3つが増えたとき」と返ってきた。
「起業家だと自覚したのは、最初の資金調達で3000万円が銀行に振り込まれたとき。僕への期待が目に見える形で示されて、これはヤバいなと」