フレディ・マーキュリーの人生に見たセクシュアルマイノリティの孤独

1985年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催された「ライブ・エイド」に出演したクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリー(Getty Images)

11月24日はロックバンド「クイーン」のリードボーカル、フレディ・マーキュリーの命日。日本では今、フレディの人生を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が上映中です。アラフィフの友人たちが「始めから泣きながら見た」というので、筆者も一人で映画館に足を運びました。
 
複雑なルーツ、音楽が居場所だった

イギリスで1971年に結成された4人組のクイーン。ファンではなかった筆者が見ても、映画に登場する数々の名曲とそのエピソードにしびれました。フレディのアップダウンする人生の物語が描かれる中、何より心に刺さったのは、彼の孤独でした。
 
フレディのルーツは複雑で、アフリカ・タンザニア沖のインド洋に浮かぶ島・ザンジバルで生まれ、両親はインド人。出自や容姿にコンプレックスを持ち、父親と対立し、「部屋でひざを抱え、音楽が居場所だった」と語っています。スターになってからも、セクシュアルマイノリティだったことで、オープンにしづらく理解されがたい苦悩を抱えていました。
 
物語の若きフレディは、ガールフレンドのメアリーといい関係でした。クイーンのアメリカツアーで離ればなれになり、フレディは自分が男性に惹かれることに気づきます。メアリーにそれを告げ、フレディは破滅的な行動をしたり、マネジメントの関係者に振り回されたり……。多数の人と接してもフレディにとって、メアリーは心のよりどころでした。でもメアリーは、新しい道を選びます。
 
セクシュアルマイノリティの孤独教えられた

映画を通して、フレディの叫びが伝わってきました。

「ガールフレンドに頼りたい。でも男性を求める衝動も抑えられない」
「周りの人と違うけれど、自分に正直に生きたい」
「マイノリティであることを公にしないほうがいいのだろうか」
「家族同様のバンドメンバーは妻や子どもがいるのに、自分は独りぼっち」
「誰かそばにいて」
「愛すべき人に出会いたい」
 
筆者が大学生だった90年代は、「LGBT」という言葉は一般的でなかったものの、「実はバイセクシュアルで」「ゲイなんだけど」という同級生がいて、「そうなんだ」と受け止めていました。

最近はセクシュアルマイノリティの報道も増えていますが、カミングアウトをめぐって亡くなる人がいたり、逆に周囲が過敏になりすぎたり、繊細なテーマです。感覚的にはわかったつもりでも、モヤモヤを抱えていた筆者に、物語のフレディは「セクシュアルマイノリティの苦悩はこういうことなんだよ」と具体的に教えてくれました。
 
クイーンの新アルバム発表会見の場面も印象的でした。メンバーは楽曲について話したいのに、記者たちがフレディのセクシュアリティや出自をしつこく追及。メディアの偏見と圧力が強調されていました。違う生き方をする人の苦悩を知ろうとすること。物事にバイアスをかけずに見ること。こうしたシンプルな心構えが大事だと、気づかされます。
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文=なかのかおり

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