フレディ・マーキュリーの人生に見たセクシュアルマイノリティの孤独

1985年7月13日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催された「ライブ・エイド」に出演したクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリー(Getty Images)


フレディの物語には救いもありました。メンバー内の不和が広がっていた85年、世界に中継されるアフリカ難民支援ライブで、クイーンとして復活。観客と一体になったパフォーマンスを見せて感動を呼びました。
 
クイーンが活動した70年代から80年代にかけて、セクシュアルマイノリティであることを公表し、好意的に受け止められる時代ではなかったようです。イギリスでは60年代中頃まで同性愛は法律で禁じられていました。「同性愛と異性愛」(風間孝・河口和也著、岩波新書)によると、70年代初頭にアメリカで同性愛解放運動が起こり、同性愛は犯罪や病気ではないとやっと認められました。

ところが70年代後半には、アメリカ各地で制定されていた性的指向に基づく差別を禁止する法令の撤回を求める運動が広がりました。81年に初めてエイズの症例がアメリカで報告、「男性同性愛者だけに広がる病気」と語られ、同性愛への嫌悪や攻撃が増してしまいました。
 
フレディもエイズのため、91年に45歳で亡くなりました。現在は進歩している治療や啓発も当時はまだまだで、エイズを公表せずに闘病したそうです。厳しい運命だったかもしれませんが、恋人が寄り添い、メンバーや家族、友達と心が通っていたと伝えられ、最期は孤独が和らいだのではないでしょうか。
 
素晴らしい楽曲を生み出し、世界中で知られるフレディは、エイズの啓発にも貢献していると思います。この映画をきっかけに、エイズの問題を知る人もいるでしょう。そして愛すべきクイーンの仲間たちは、フレディの逝去後にエイズと闘うチャリティ財団「マーキュリー・フェニックス・トラスト」 を設立、活動を続けています。

文=なかのかおり

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