「体内時計はもう壊れていますね」
時差ボケのことを聞くと、岡田光信はいつもの調子で冗談めかして苦笑した。2013年に岡田はアストロスケールを創業して以来、「北半球の旅人」のごとく、年中、北半球を移動している。
10月末は、ロンドンの王立航空協会にいた。岡田は数少ない日本人フェローに認定されており、彼はここで開かれた英国惑星間協会主催の学会に招かれたのだ。学会には、EU内の政府、学界、産業界から数百人もの人が参加。岡田が招聘された理由は、「スペース・スウィーパーズ(宇宙の掃除屋たち)」を名乗る彼がスペースデブリ(宇宙ゴミ)に挑む人類初の起業家だからだ。
学会の後、パディントン駅から列車に乗ると、岡田はイヤホンマイクでどこかの会議に参加しながら自社の英国拠点に向かった。昨年、アストロスケールはイギリス政府から150万ポンドを付与され、オックスフォード郊外に管制センターを開設している。
動くのをやめたら死んでしまうかのような日程に、「疲れませんか」と何気なく聞くと、思いがけず彼は真顔になり、「いちばん大変なのは」と、こう返した。
「毎日、正気でいることです」
下手したら気が狂うぞ──。そう思うことがないわけではない。しかし、「創業して2000回の朝を迎えましたが、毎日、正気でいられます。みんなに支えられているからです」と言う。
正気と狂気。なぜそんなことを意識するのか。彼のことをもっと知るには、1年前のあの日から物語を始めた方がいいだろう。17年12月1日、パレスホテル東京。
Forbes JAPAN「起業家ランキング」の表彰イベントでのこと。3位を受賞した岡田が壇上のマイクの前に立つと、華やかな式典が水を打ったようになった。彼のスピーチは、いつもの軽妙さとは異なっていた。
「さきほどシベリアから戻ってきました」
壇上から会場を見据えて、彼は語り始めた。3日前、彼はボストチヌイ宇宙基地にいた。ロケットが射場で噴射炎を上げ、空に飛び立つ瞬間を自分の目で確認した。アストロスケールにとって、記念すべき初の人工衛星打ち上げである。その直後に起きた出来事を、彼はマイクの前で一呼吸置くと、こう表現したのだ。
「宇宙から、厳しい洗礼を受けました」
スペースデブリ観測衛星IDEA OSG1を積んだロシア製ロケット「ソユーズ2.1」が、消息を絶ったのだ。
「電波を受信できません!」
ソユーズが打ち上げられた昨年11月28日夕方、東京の下町、錦糸町にあるアストロスケールの小さな工場は、「やったー!」という歓声に包まれた。集まった報道陣、人工衛星の開発に関わった者たちが、スクリーンの映像に手を叩く。
この観測衛星は、微小のスペースデブリを軌道上で計測。デブリの分布データを作成する。銃弾の20倍の速度で地球上を周回するデブリは、衝突と破壊を繰り返し、加速度的にその数は増殖している。
アカデミー賞監督賞を受賞した13年の映画『ゼロ・グラビティ』で実態を知った人も多いだろう。宇宙船の外で作業中の宇宙飛行士をデブリ群が襲い、顔面を貫通。宇宙船が大破する衝撃的シーンから映画は始まる。デブリは連鎖的に衛星を破壊し続け、その破片が凶器となって軌道上で暴れまわるのだ。
1cm以上のデブリは75万個以上といわれ、これを除去しなければ、産業活動の多くがGPSなど衛星に依存するため、人間社会は機能不全に陥る。そこで、解決の旗を揚げたのが岡田だった。