ビジネス

2018.11.28

これからの学びに必要な「3つのボーダレス」 #NEXT_U30

Selan代表取締役 樋口亜希


「多様性」について考える機会が多かった



──ご自身のバックグラウンドが大きな影響を与えているのですね。

そうですね。母親が中国人だったこともあり、自分のバックグラウンドがいわゆる周囲の「普通」と違ったことで、多様性について考える機会は幼い頃から多かったと思います。

家では中国と日本の文化が入り混じっていましたし、お迎えをしてもらっていたときも「なんで私の家だけこんなにいろんな人が出入りしているんだろう?」と思っていました。周囲の友達に聞かれても、うまく答えることができなかった。

小学校4、5年生の時に過ごしていたアメリカでピアスを開けたら、日本に帰ってきてから「不良だ」と言われてショックを受けたこともあります(笑)。

──日本は、マイノリティを排除してしまう傾向がありますよね。

そうですね。私にとって、「多様性」というキーワードは、小さい頃からずっと親近感のある言葉であると同時に、得体の知らない「何か」でもありました。

リクルートで変えたかった「日本の就活」

──新卒ではリクルートに入社されていますよね。これはどうしてですか?

北京大学に進学し、就活の時期になった時、日本の就活事情についてほぼ知らなかった私は、その仕組みやプロセスなど、いろんな衝撃を受けました。

学生も企業も「個性」というキーワードを軸にしながらも、どこかその言葉が一人歩きしているように感じ、そこから就活市場に興味を持ちました。そして、業界最大手のリクルートに行くことを決めました。

──実際に勤められてみてどうでしたか?

すぐに現状を変えるのは難しかったのですが、やり甲斐はありました。しかし、仕事をすればするほど、日本人がもっともっとグローバルな場で活躍するためには、「幼少期の体験」が重要なのではないかと思うようになったんです。

ホームページからの問い合わせが、起業のきっかけ

──それで起業されたんですか?

最初は起業をしようと強く思っていた訳ではなく、もっと自分のアイデンティティやバックグランドを活かせる仕事をしたいと思っていたので、とりあえず、リクルートを辞めて考えることにしたんです。別に起業でも転職でもフリーランスでもなんでもよかった。

──そこで最終的に起業という形を選ばれたのはなぜでしょうか。

会社を辞めて、最初はさまざまなプロジェクトをかけもちしながら「お迎えシスター」を趣味の延長線上でやっていたんです。周囲のお母さん方にお声がけをして、自分が先生として、知り合いの子どもたちのお迎えやレッスンをしたりしていました。お金がなかったので、本屋さんに行って、超初心者用の解説書を読みながら自分でホームページを作ったりもしていました。

しかし、なかなかお客さんは増えず、半年ほど経ったある時、「やっぱり中途半端にやっていたらダメだ」と思い、色々とやっていたプロジェクトを辞めて、お迎えシスター1本にすることにしたんです。

そう決めてからしばらくした時、あるカスタマーのお父様からお問い合わせがあったんです。事業側にも興味があり、話を聞きたいとのことでお会いしてみたところ、その方が投資家で「出資したい」と言っていただいたんです。
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文=明石悠佳 写真=小田駿一

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