芝生の発祥はイギリスやフランスの王宮庭園らしい。何の変哲もない丈の短い草である。色も同じ、形も同じ草が並ぶ姿は、中近東でもアジアでも浸透、流行しており、高級ホテルや高級住宅街では、この草がないと高級なクラスにさえカテゴリーされない。
テニスもサッカーも乗馬も、スポーツで最高級の舞台は、なぜか天然芝となる。ハイクラスのスポーツであるゴルフに至っては、そもそもフィールド自体が芝生である。庭園や公園のシンボルという領域を超えて、スポーツや家庭の日常にも入り込んでいるのだ。
パリ6区にあるリュクサンブール公園
芝生の初期投資は、桜の木を植えたり、黒松をシンボリックに設置したりするより、遥かに安価で簡単であるが、その後のメンテナンスに時間がかかる。芝生にはメンテナンスとか綺麗に揃っているという所有感に対する付加価値がついている。もしかしたら、使わないのにワイングラスをガラス棚に並べるとか、300km/hで走れる公道はないのにスーパーカーを所有するという気持ちと近いのかもしれない。
人間らしく未来を想像すると?
話を元に戻そう。メンテナンスという大変な作業が豊かさの象徴であれば、ネイルも芝生育成も同じだ。ネイルのように芝生をメンテナンスするロボットがでてきたら、価値は下がってくるかもしれない。
ネイルビジネスの加速度的な変化を眺めながら、芝生を思い、また美容のビジネスの未来を考えている。最近のベストセラー書籍、ユヴァル・ノア・ハラリ著の「ホモ・デウス」では、人類と猿と違いを、未来を考える想像力であると書いていた。芝生の未来を考えながら、ネイルビジネスの答えが出ないかと、呑気に公園で寝転ぶ週末である。
連載 : オトコが語る美容の世界
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