束の間でも「今、ここ」で生きる歓びを ワケありな二人の逃走劇


ベアトリーチェの押しの強さと無軌道ぶりは徹底している。閉店間際の銀行のカウンターで自らを伯爵夫人だと主張して金を借りようとしたり、高級レストランで無銭飲食したり、その堂々とした口八丁手八丁ぶりと「今、ここ」の快楽を追求する姿に、戸惑いながらドナテッロも巻き込まれていく。

不本意にも会うことになってしまったドナテッロの母親は、将軍の介護をしつつその遺産を狙っており、娘との仲は険悪だ。複雑な親子関係を垣間みたベアトリーチェは、ドナテッロの孤独を感じ取るが、しんみり慰めるタイプではないため、若者たちの車に便乗してイケイケのノリでクラブへ。

偶然にもかつて働いていたクラブに来たドナテッロが、自分と子供を棄てた男と対面し一矢報いたのは、ベアトリーチェの破れかぶれの前向きさにいつのまにか影響されたからだろう。

しかし出たとこ勝負で刹那的なベアトリーチェは、ルーレットで有り金を全部すってしまい、これが元で二人は大げんか。警察沙汰に発展する。

どさくさ紛れにその場を逃げ出して、夫と住んでいた邸宅に帰ってきたベアトリーチェは、周囲から腫れ物扱いされるのも気に留めず、ドン引きしている夫の客人たちに奥様然として振る舞う。

人にどう思われようがまったく関係ないというこの滅法明るい開き直りは、狂気からではなくおそらく生来のものなのでは? とも思わされる。やがて夫のパソコンでドナテッロの過去の不幸な事件を知ったベアトリーチェは、彼女の力になると決心し動き出す。

引っ掻き回されるのも、悪くない

一方、強制入院となった病院を抜け出して合流したドナテッロも、ベアトリーチェが数々のトラブルから母親に忌み嫌われていることを知る。

ドタバタの逃走劇の中で、徐々に互いの孤独の深さを感じ取り、寄り添っていく心。映画の撮影現場に紛れ込んでエキストラとなり、今度はスポーツカーに乗ったまま逃げる場面はまるで『テルマ&ルイーズ』だが、ヨレヨレになった50s’ファッションのまま疲れ切って路上で凭れ合う図は、二匹の野良猫のようだ。

二人を探す施設のスタッフたちに自分は捕まりながら、ベアトリーチェはドナテッロを逃がす。翌朝、ボロボロになったドナテッロに、ようやく待ち望んだ僥倖(ぎょうこう)が訪れる。

考えてみれば、ベアトリーチェはドナテッロに「子供に会わせてあげる」と口約束したものの、昔の男に金をせびりに行って酷い扱いを受けたり、子供の養子先の家に突然訪問してデマカセを言って呆れられたりと、何も役に立つことをしていない。

そもそも彼女はどこに行っても、自宅や実家でさえ、厄介者、不審者扱いされる「変な女」。こんな目立つ人と行動を共にしていたらトラブルに巻き込まれそうだと、敬遠されるようなキャラクターなのだ。

しかしベアトリーチェのその引っ掻き回す力が、沈み切っていたドナテッロに刺激を与え、大胆な行動が勇気を引き出し、自分だけに見せてくれた裏表のなさによって、希望をつなぐことができた。

少し「普通」から外れてしまったことで社会に行き場を失くした女性が、束の間でも自分らしく輝き歓びを感じていたいと思う、その切実な願いを全身で体現していたベアトリーチェと、彼女から生きていく力を得たドナテッロ。最後にベアトリーチェが見せる微笑みのとてつもない優しさは、ドナテッロだけでなく私たちの心に染み渡る。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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