オンライン診療が医師と患者の意識を改革する

武藤真祐


組織の人格を形成した石巻での3年

武藤と園田の出会いは、それぞれが東大医学部附属病院での医師と医療経営コンサルタントをしていた06年に遡る。その後、武藤がマッキンゼー時代に関わったレポートを読んだ園田が、すぐさま武藤に連絡をとった。

「何が衝撃だったかというと、『日本の医療課題は10年経っても解決の兆しがない。それはリーダーシップの欠如であり、イニシアチブの欠如である』と書かれていたんです」(園田)

自分の周囲の医療従事者もそれを支える現場も、より良い医療のために邁進しているのに、なぜなのか。園田と武藤は野田智義・金井壽宏共著『リーダーシップの旅』のなかの「リード・ザ・セルフ」「リード・ザ・ピープル」「リード・ザ・ソサエティ」という段階について考察を巡らし、「結果としてリーダーになる人を輩出する場をつくろう」と、08年、NPO法人のヘルスケアリーダーシップ研究会「Institutefor Healthcare Leadership(IHL)」を立ち上げる。

さらにふたりは「セルフ」、つまり自身をリードするために必要な強い基軸を模索した。その答えが、園田の場合は、09年にリクルートを辞めて起業したインテグリティ・ヘルスケアであり、武藤の場合は翌年、マッキンゼーを辞して園田とふたりで始めた祐ホームクリニックなのだ。

「もう一度、世界で輝く日本でありたい。そのためには世界に先駆けて直面している超高齢社会を日本は力強く乗り越えなければならない。そうして、人々が誇りを持って暮らせる社会を次世代に受け継ぎたい」と、ふたりは自らリーダーになる道を邁進する。その矢先、11年3月11日、東日本大震災が起きた。

4月、宮城県石巻市を訪れた園田は、筆舌し難い現地の惨状を武藤に懸命にメールする。2日後、東北新幹線古川駅に着いた武藤はホームに迎えに来た園田に、ひとこと言った。「開業だね」。9月、祐ホームクリニック石巻が誕生。「被災地は、来たる超高齢化社会の縮図」という実感を胸に、武藤は東京と石巻を奔走、園田は3年石巻に在住した。

「インテグリティ・ヘルスケアにとっても祐ホームクリニックにとっても、大きなアイデンティティとなった。組織の人格を形成した出来事だったなと思います」(園田)

祐ホームクリニックは現在、5つの拠点があり、常勤・非常勤含め約50人の医師が常時1400人ほどの患者の在宅医療を行っている。武藤はいまも週に一度は担当患者を診てまわる。

「人口動態が変わり、疾病が変わった。テクノロジーが無限の可能性を拓くこの時代に、ヘルスケアはどう進化するか。その解を出すことに人生を賭けたい」(園田)

武藤も呼応するように続ける。

「私が医療の分野を選んでよかったなと思うのは、例えばお金だと誰かが儲かれば誰かが損をする、言わばゼロサムに近い。でも、多くの人は健康であり続けたいと思うもの。したがってヘルスケアは何かを奪うのではなく、みんなで価値が最大化することを目標にできるめったにない分野ではないかと思うんです。

しかも新しいテクノロジーを使って次世代の医療を実現できる可能性が出てきた。ベンチャーというひとつのビークル(手段・乗り物)を使い、自分がその可能性に人生を賭けられるというのは非常に幸運です」


武藤真祐◎東大病院、三井記念病院にて循環器内科に従事後、宮内庁で侍医を務める。マッキンゼー・アンド・カンパニーでの経営コンサルタントを経て、2010年、祐ホームクリニックを東京都文京区に設立。11年、医療法人社団鉄祐会を設立。16年、インテグリティ・ヘルスケア代表取締役会長に就任。

園田 愛◎医療経営コンサルティングに従事後、リクルートでヘルスケア関連事業に携わり、2009年、インテグリティ・ヘルスケアを設立。同時に祐ホームクリニック(現医療法人社団鉄祐会)の設立に参画。15年より、ヘルステック事業を開始。

文=堀香織 写真=ヤン・ブース

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