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2018.11.15

1800人の田舎町を「キルトの聖地」に変貌させた、61歳主婦ユーチューバー

ジェニー・ドーン


すべては自己破産から始まった
 
1995年にハミルトンに移り住む以前、カリフォルニア州中部のグリーンフィールドでのドーン家の生活は、ギリギリといった感じだった。
 
夫のロン(64)はスマッカーズのジャム工場で働く年収6万ドルの機械工だった。しかし、末息子のリンパ節に腫瘍が見つかって(結果的に良性だった)医療費がかさみ、一家は自己破産せざるを得なくなった。生活費がもっと安くて済む、牧歌的な土地で暮らそうと考えた一家は、カンザスシティから北東に1時間ほどのハミルトンへの転居を決めた。
 
ドーン夫妻は子どもたちに高校は絶対卒業しろ、とは言わなかった。娘のひとりナタリーは、日本の高卒認定試験に相当する一般教育修了検定に合格、5人の子どもをなしたが離婚して食料配給券を受給する羽目になった。別の娘サラは高校を中退し、結婚して同じく5人の子どもをもうけた。息子のひとりアランは15歳で一般教育修了検定に合格し、2年間モルモン教の布教活動に従事した後、ブリガムヤング大学で情報システム学の学位を取得した。
 
ハミルトンに移り住んだ後、夫のロンは地元紙「カンザスシティ・スター」で機械工として働き、ジェニーは趣味でキルト作りを始めた。あるとき、自分で縫ったパッチワークに中綿と裏地を縫い付けてキルトを作ろうと、地元のキルティング業者に依頼した。80ドル支払ったが、仕上がりまでになんと1年かかった。それを聞いたサラは自宅を二番抵当に入れ、3万6000ドルで母親のためにコンピューター制御式キルティングマシンを購入。さらに閉鎖されたアンティークショップを2万4000ドルで買い取って、そこにマシンを据えた。キルトを仕上げる仕事を請け負えば、年間4万ドル稼げると踏んだのだ。
 
アランは、大学を出てカリフォルニアのソフトウェア企業「シマンテック」に就職。その後、不況で職を失い、親友で布教仲間だったデイビッド・ミフスードのトロントにある家の地下室に転がり込んでいた。ジェニーが事業を始めると、アランとミフスードはそれを支援しようと、09年初頭にECサイト「QuiltersDailyDeal.com」を開設。アランは、宣伝のためユーチューブ動画を10本撮らせてほしいとジェニーを説得した。最初の動画撮影では、ジェニーが転んで足を骨折してしまうなどドタバタもあったが、少しずつ注文が入るようになっていった。

同族企業の限界を超えるために
 
12年になると、ミズーリ・スターの創業者たちは自分たちに7ドル45セントの時給を払えるようになり、空き店舗をもう1軒買い取り、自分たちで改装した。13年になるころには、ジェニーは人気ユーチューバーになっており、ミズーリ・スターの年間収入は400万ドルを突破。ハミルトンに、ジェニーのファンが出没するようになった。
 
このころにはアランが地元に戻り、ミズーリ・スターのウェブサイトを管理していた。ファイナンシャル・プランナーの資格をもつミフスードはトロントで会計を担当し、従業員や店舗デザイン、生地選びは、サラが取り仕切るようになっていた。
 
ミフスードは仕事量を分散させるため、弟のマイケルに声をかけ、仕事を辞めて時給15ドルでミズーリ・スターのCFO(最高財務責任者)を引き受けてほしいと説得した。マイケルは12年にユタ州立大学を卒業し、ゴールドマン・サックスのソルトレイク支店で信用リスクアナリストをしていた。
 
マイケルはこのときゴールドマン・サックスを辞めた理由をこう説明する。

「ミズーリ・スターは、伝統的な産業でスタートアップの手法を用いていましたからね」
 
ミズーリ・スターの実店舗事業を拡大したのはサラ(38)だ。大半を5万ドル未満で購入し、1軒当たり10万〜25万ドルでリフォーム。合計300万ドルを投資している。アランによると実店舗もオンラインショップ同様、利益を出しているという。
 
しかし、売り上げが急成長するにつれ、同社の経営システムは破綻していった。
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文=スーザン・アダムズ 写真=ティム・パネル 翻訳=木村理恵 編集=森裕子

この記事は 「Forbes JAPAN ストーリーを探せ!」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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