国境は知っている! 〜ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル


──日本の音楽シーンで好きなバンドはありますか? 

5年前からウラジオストクで開催している夏の音楽フェス「V-ROX」には、日本から、ラブ・サイケデリコやエゴラッピンというユニット、沖縄のワラバーズのようなバンドを招いています。


ウラジオストクで開催される夏の音楽フェス「V-ROX」(2016)(c)Василисы Вакиловой

僕は日本のアイドルバンドから本格的なイノベーターまで、さまざまな音楽を聴きます。魂で繋がりを感じるのは、X JAPANのYOSHIKIです。

彼と僕たちは演奏するジャンルが違うけれど、創作プロセスは近いものを感じます。何より魅力的なのは、彼には本物のサムライの魂が宿っていること。それは、彼の才能と創作姿勢が物語っていて、残念ながら、僕にはときどきそれが足りないのではと思うほどです。

──ラグテンコさんご自身の話をお聞かせください。日本のファンにとって、あなたの情報はとても少ないのです。どこで生まれ、これまでどんな活動をしてきたのか、また影響を受けた音楽やミュージシャンなどいたら教えてください。

僕は、ロシアがまだソビエト連邦だった時代のウラジオストクで生まれました。当時、ウラジオストクは、外国人にも自国民にも閉鎖されていた軍港で、ロックンロールは「反共産主義」の音楽と呼ばれていた時代です。その頃流通していた音楽シーンには興味を持てず、日本を含む近隣国の事情に触れられる環境はないに等しかった。

初めて現代日本の音楽を聴いたのは学生時代の1980年代です。実は、その頃、ウラジオストクでも、ラジオを通じてまれに日本の音楽を聴くことができたんです。もちろん、ソ連では国として海外からの電波を遮断するような工作は行われていましたが、ときおり弱いながらも電波を拾うことができ、日本の曲を聴くようになったのです。

その後、ウラジオストク港で働く船員たちが、海外の音楽を持ち返ってくるようになった。それらの音楽を聴きながら、僕の音楽性は育まれていったといってもいい。バンド名やアーティストの名前は知らなかったけれど、日本の流行歌トップ10、英国のニューウェイブ、アメリカのヘビーメタルなど、そのうち何でも手に入るようになった。

──ラグテンコさんは大学で中国語を学んだと聞きました。どんな学生時代を過ごしていたのですか。

中国語は、僕にとって初めての外国語でした。7歳のときに学び始め、大学進学時にも、中国語を続けて学ぶよう周囲から助言を受けました。80年代は中国がようやく世界に姿を現わし始めていた時期です。その後、中国遼寧省にある大連外国語学院にも留学しました。

とても面白い時代でしたね。僕は15歳のときに、地元の仲間とムーミー・トローリを結成してバンド活動を始めていました。中国に留学中はバンド活動こそしていなかったけれど、DJはやっていた。その頃、大連には日本やアメリカ、イギリス、ドイツ、インド、オーストラリアなどから多くの留学生が来ていて、彼らが休暇で帰国するたび、それぞれの国の流行曲や音源をお土産に頼んだものです。

そして、彼らが戻ってくると、パーティを開くのです。さまざまな国の音楽が鳴り響いていて、90年代の中国はとても刺激的だった。物価もそんなに高くなかったですし。

──その後も中国には行かれていますか。中国はあなたにとってどんな国ですか。 

広くて独特な魅力がある国ですね。たいていのロシア人は、アジアの国々は似た者同士だと思っているけど、まったく違う。言語や文化以外にも、受けてきた教育の違いなどあると感じています。

文=中村正人 翻訳=A.アレックス(音楽ユニット「変異種」リーダー)

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