選び抜かれた素材だからこそ、生まれる美しさ。それは盛り付けからも感じられた。これまでアンドレといえば、様々なテクニックを駆使した、アーティスティックな盛り付けが特徴だった。いや、盛り付けだけでない。サーブの仕方にしても、海藻と小石を敷いて箱庭のように仕立てた「海」の上にアワビの前菜を置くなど、テーブル上に、美しい小宇宙を表現するのが彼の十八番だった。
アンドレが2年前に出版した本、「オクタフィロソフィー」の写真撮影を担当したカメラマンと話したことがある。手にしたワインのグラスをテーブルに置き、それからそれをそっと5ミリだけ手前に動かして、彼は言った。
「アンドレは、この違いにこだわる人なんです」
しかし、今回その「アンドレらしい」スタイルはいっさい影を潜めている。前菜はただ白い皿にシンプルに盛り付けられ、ご飯は四川の伝統的な様式に則って、竹筒で提供される。そこには、かつてのアンドレらしさはない。むしろ、そこには削ぎ落とされたこその美しさがあった。
シンプルな竹筒は四川料理の伝統的な提供方法
そして気づいた。「アンドレは、あえて過去の自分を封印しているのだ」と。
それは、とてもアンドレらしかった。料理修業のために、15歳でフランスに渡ったアンドレは、ジャルダン・デ・サンスを皮切りに、トロワグロ、ジョエル・ロブション、ピエール・ガニエール、アストランスなどの厨房で働く。すべてフランス料理の名店であるが、そのスタイルは大きく異なる。以前そのことについて私が尋ねると、アンドレはこう答えたのだった。「人生の欠けているピースを埋めるために」と。
きっと、ザ・ブリッジでのアプローチも、それと同じだ。辛味一辺倒ではない、甘み、酸味、旨味、四川山椒や様々な種類の唐辛子の異なった味わいが重層的に重なる味、そして日本の吸い物に通じるようなピュアな味わいの清湯、四川料理と言っても、通常思い描くものとはかけ離れた味わいを噛み締めながら思った。
24種類もの繊細で複雑な味を感じ取ってもらうためには、華やかな演出はかえって邪魔になる。四川料理は、多くの人にとって「新しい味」だ。本質である「味」を感じてもらうには、過去の自分がまとって来た「装飾」は必要ない。プレゼンテーションではなく、本質の「味の探求」を、自らの新たな「欠けているピース」として選んだのだ。
新たな挑戦が始まる
人々は、アンドレのレストランということで、過去と同じ華やかなプレゼンテーションを期待する。ときには「期待を裏切られた」というゲストも出ることだろう。かつて彼がレストランに自らの名を冠していたことが示すように、料理におけるスタイルとは、自分自身の映し鏡でもある。過去のスタイルを捨てることは、過去の自分を捨てることでもあり、とても勇気のいることだっただろう。
8コースのランチが終わり、アンドレが私のテーブルにやって来た。台湾出身ながら、少年時代にアジアを離れたアンドレは、「アジア人なのに、アジアについて何も知らない」と以前もらしたことがある。「アジアの味を追求することが、次の欠けているピースなのか」と尋ねると、「そうだ」という答えが返って来た。
「四川は山に囲まれた地域で、昔からの発酵や直火焼きの文化が豊かに残る。他の地域では廃れて消えてしまっている手法が残っていたりする」とアンドレは言う。そんな古来の手法を追求し検証するのが、今は楽しいのだと。
「四川料理に、これまでやって来たフランス料理のテクニックを使うことは簡単。それでお客様を喜ばせることもできるだろう。でも、自分は過去と同じことはしたくない」
ザ・ブリッジをオープンしてまだ1年と経たないアンドレだが、また近々、新たな挑戦も始まろうとしている。それについては、また後日、ご紹介したい。