一方、マリーナに夫の車の返還を求めたオルランドの元妻は、「ごめんね」と言い訳のように謝罪を挟みながらも、「変態」「キマイラ(怪物)」などの暴言を交えてあけすけに語り、「通夜にも葬儀にも来ないで」と釘を刺す。
ここに登場する二人の女性、刑事と元妻の振る舞いからは、トランス女性を自分たち「生まれながらの女」の位相をぐらつかせる「異物」と感じていることが透けて見えるようだ。
こうした他人の心ない言動に対して、マリーナが極力冷静で知的にふるまおうとしているのが印象的だ。
警察の失礼な対応にも激することなく、疑義は呈しても結果的には従う。早くアパートを出ろと言い愛犬まで奪おうとするオルランドの息子ブルーノには「私の犬よ」と主張するが、初対面の元妻には「謝らないで下さい」と一応の礼を尽くす。
しかしその抑制された言動は、マリーナがトランス女性として生きていくために身につけざるをえなかったものだろう。彼女の大きな瞳の底には、何度も屈辱への怒りがわき上がる。溜め込まれたそれが最後に爆発するのは必至だ。
喪失から立ち直ろうとする強い姿─
密かにマリーナに味方する者たちもいる。オルランドの弟は、警察官がマリーナを「彼」と呼ぶのに対し、きちんと「このお嬢さん」と言い直すし、葬儀参列を禁じられたマリーナに同情している。職場の同僚の女性も、アパートを出たマリーナを迎えに来る姉夫婦も理解者だ。
中でも、マリーナが誰より信頼し救いを求めるのが、彼女の歌の老教師。彼から「愛」について穏やかに諭された後の、マリーナの哀しみを湛えた歌声、そこに、向かい風の中を懸命に歩く彼女の姿が重ねられるシーンは美しい。
だが、思いあまって通夜の会場に行ってしまったマリーナは、酷い暴力に晒される。彼女が放り出されるのは町外れの廃墟。それは、「異物」は目につきにくい隅の方にいろというマジョリティのメッセージそのものだ。
こうした中で何度か、亡くなったオルランドの幻影が現れては消え、彼の遺品で唯一不可解な一つの鍵の存在が徐々にクローズアップされてくる。
それが生前のオルランドが通っていたサウナのロッカー・キーだとわかった時、マリーナも私たちも「そこにオルランドが置き忘れたイグアスの滝に行くための旅券があるのでは?」との思いに囚われる。
もちろんマリーナは、トランス女性としての危険を冒して男性用サウナのロッカーの鍵を開けに行く。だが物語の結末は、恋人と見るはずだった滝の前でかつての愛の思い出に浸る、という後ろ向きなものではない。
私たちが目撃するのは、喪失から立ち直ろうとする力強い彼女の姿だ。晴れの舞台に立ったマリーナが歌い上げるオペラの有名な歌曲『オンブラ・マイ・フ』は、苦しみを乗り越えていく女性の気高さと誇りに満ち満ちて聴く者の胸を打つ。
連載 : シネマの女は最後に微笑む
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