ニューヨークの高校時代にEmily Warren & The Bettersというバンドを組んで活動していたウォーレンだが、ソロアーティストとしてのキャリアはまだ浅い。同バンドの解散後、ウォーレンはロサンゼルスに拠点を移し、ソングライターの仕事に注力してきた(バンドメンバーのうち2人はMisterWivesを結成)。
「私にとって曲作りはセラピーのようなもの」とウォーレンは言う。「アーティストたちと3、4時間にわたって話し、彼らのことを深く知り、心地よい関係を築く。長く話せば話すほど、曲が書きやすくなる。歌の題材は、彼らが語る真実の中にある。コンセプトありきで(他のソングライターと)セッションするより、多くのものが見つかる」
これまでウォーレンが曲を提供したアーティストは、シグリッドやショーン・メンデスといった新進のスターからデヴィッド・ゲッタなどのベテランまで幅広い。一般の知名度こそ高くないものの、彼女の名は音楽業界では認知されており、今年のフォーブスの「30 Under 30」(音楽部門)にも選出された。また、「Don’t Let Me Down」ではグラミー賞を受賞している。
ポップスターの曲は3、4人以上のソングライターの共作であることが多く、大ヒットしたからといってウォーレンが必ずしも莫大な収入を得られるわけではないが、キャリアは順調だった。プロのソングライターとして、自分が作った曲を他人が演奏することも受け入れていたという。
しかし、ある2つの曲に関しては違った。「この3、4年の間に書いた『Just Click』と『Not Ready to Dance』という曲。それらの歌に誰かが興味を示すたびに『とても個人的な曲なので、他の人に歌ってほしくない』と意思表示していた」とウォーレンは話す。
ウォーレンは長い間、「自分はアーティストではない」と言い続けてきた。とりわけ曲作りのセッションに参加する際には、自身のアーティスト性を封印することが習慣になっていた。
「仕事を始めたばかりの頃、『君もアーティスト活動をしているの?』と訊かれるたびにノーと答えていた。すると相手は『それはよかった』と返して来た。曲を自分の手元に置いておきたい気持ちを捨てることで、より多くの仕事を得ることができた。また、何度も(自分はアーティストではないと)言うことで、自分を納得させていたのだと思う」