あとで思ったのは、洗濯機にまつわる一連のことは、暮らしの実験だった、ということだ。冷蔵庫にしても洗濯機にしても、暮らしに必要なもの、あって当たり前のものだという認識があると思う。でも、自分にとってはどうなのか。必要か、じつはそれほど必要じゃないかは、自分にしか判断できないことだ。
誰かが決めた“ものさし”を、試行錯誤もせずに自分の“ものさし”にしてしまうより、いろいろ失敗しながらも、自分のものさしを見つけていったほうがいいのではないか。暮らしをつくるとは、そういうことなのではないか。
もしミニマルな生活に興味があるなら、まずは暮らしの実験をしてみてはいかがだろうか。買い足さずに、あるもので代用してみる。ときどきしか使わないものは、押入れや物置にしまってみる。思い切って手放してみる。
なくても、案外なんてことはなかったりする。それよりも、あった方が不便だったと気づく。便利だと思っていたものがなくなると、出したり片付けたり洗ったりする手間がなくなって、むしろ楽になったと気づくことの方が多い。やっぱりないと不便だと思ったら、また取り出して使えばいい。
子どもが巣立って、野良仕事で一日が終わるようになったら、また手洗いに戻そうと思う。いつか建てる小屋には、手洗いがしやすい水廻りを備えたい。頭の中は、もうそんな構想でいっぱいになっている。
連載 : 里山に住む「ミニマリスト」のDIY的暮らし方
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