私はそう主張することで、大統領の扇動的話術に感化された別のトランプ支持者が私を傷つけようとする可能性が生じることは承知している。これこそまさに、“憎しみの心理戦”が機能する仕組みだ。
トランプ大統領は、意図的であるにせよないにせよ、テロを助長する憎しみの三拍子をそろえてしまった。トランプは集会やスピーチで扇動的な言葉を駆使し、反対派を敵に仕立て上げ、憎しみを駆り立て、反対派に対する暴力行為を是認している。事実はもはや重要ではなく、トランプがひどい存在とみなす人々が共有する価値観も重要ではない。
ここで重要なのは、“自分たちvs.あいつら”という構図だ。あいつらに勝たせてはならない。絶対に謝罪したり、引き下がったりするものか──と。
この三拍子は重要であり、中核的なものだ。リーダーは、3要素の全てをそろえない限り、支持者が暴力行為に及んでもその責任を負わない。全てのポピュリスト(大衆迎合主義者)がテロを誘発するわけではないのだ。
右派の支持者らが、民主党のマキシン・ウォーターズ下院議員やバーニー・サンダース上院議員が展開した激しい批判を引き合いにトランプ大統領の擁護を始めても、それは的外れだ。憎しみの心理戦の責任を負うためには、トランプが使った3要素すべてが必要だからだ。では、この3要素を詳しく見ていこう。
リーダーがテロを誘発した責任を負う条件である3要素の1つ目は、反対派や批判者を敵・他者とみなすことだ。トランプ大統領にとって、このカテゴリーに当てはまる人は多い。事実を基にした報道を行う機関、抑圧された有色人種、“グローバリスト”、ヒラリー・クリントンら民主党員一般など、批判者や反対者に対し、敵である他者、つまり「自分たち」とは違う存在としてレッテルを貼っているのだ。
2つ目の要素は、こうした“アウトサイダー”を憎しみの標的とし、怒りを向けるべき対象にすることだ。さげすんだり、ばかにしたり、恥ずかしめたりするだけでは足りない。あいつらは、怒りをぶつけて当然の存在なのだ。トランプ大統領は大統領選出馬時から、他者を憎むことを通じ人々の気分を良くすることに関し、類まれな才能を発揮した。
私は以前執筆した論文の中で、トランプの選挙活動は、憎しみの喜びを満たすよう作られた政治版ポルノサイトとも言えると書いた。集会で報道機関に向けられるむき出しの怒りや、政敵を刑務所に入れろと大喜びで連呼する聴衆を見れば、このことは明らかだ。