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──「何のために自分はこの仕事をしているのか」というようなことは、数字とは関係のないところにありますよね。


そうですね。しかし、いまは数値化できないものの価値が暴落しています。分析できるもの、エビデンスが示せるものの価値が圧倒的に高くて、そうではないものは軽んじられている。でも、分析可能なものだけでは絶対に行き詰まるのではないか、いや十分、行き詰まっている……と私は感じています。

いまでも世の中には情報があふれていますが、この先、あまりにも情報が増えてきたとき、数字や言語ですべてを伝えるということが、難しくなってくるんじゃないかと。

そうなったとき、分析可能なものを超えた直感のようなものの重要度が増してくるのではないかと思います。

「直感」で人は幸せになれる!?

数字だけではわからないこと、解決できないことがたくさんあります。そもそも私たち人間は、デジタルな存在ではなく、自分の体にしても「頭ではこう考えているのに、なぜか逆のことをしちゃった」というように、コントロールしきれないことが多々ありますよね?

たとえば、「しゃべる」ということ一つとっても、実はすごく複雑な行為なんです。周りの環境とか、相手の反応や顔の表情などをフィードバックしながら、言葉を選んだり、言い方を変えたりとリアルタイムで自分の行動を制御しないといけない。でも、実際には制御しきれずに言いたいことが言えなかったり言葉をうまく発せなかったりします。

──そうした場合、お互いに「察する」ことが必要ですね。それが、直感的な判断ということになるのでしょうか。

そうですね。直感というのは、単なる「勘」とは違って、その人に経験や知識によって支えられているもの。それも、知識や経験がそのまま出ているわけではなくて、その人の中で熟成されたものでしょう。それが、単に数字で評価することと対極に感じる、直感、なのかもしれません。

もちろん、数字は、物事を分析したり客観的に判断するためには重要なのですが、それとうまく両天秤で直感も重要視されるようになればいい。その必要があると思うんです。

──数字至上主義の社会を変えていくのは、なかなか難しそうですが……

最近のAI研究のひとつの方向性として、AIに身体を持たせようとするものがありますよね。今のAIは画像をひたすら学習するだけ、あるいは運動の命令も出しても出したっきり、というような感じで、インプットとアウトプットが複雑に連動していません。

けれども人間の身体は、さきほどの「しゃべる」場合もそうですが、インプットとアウトプットが連動しています。自分の行為の結果を見て、行為をリアルタイムで微調整しつづけています。だから揺らぎがある。

ひょっとすると、そうやって人間以外のものが身体を持つようになったときに、制御とか分析といった言葉ではつかみとれないもの、感じるしかないものの価値が再発見されるのかもしれません。


いとう・あさ◎東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。1979年、東京都出身。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術専門分野博士課程修了(文学博士)。幼い頃から生物学者を目指すも、大学3年次に”文転”し、美学、現代アートを学ぶ。日本芸術振興会特別研究員を経て、2013年より現職。研究のかたわらアート作品の制作にもたずさわる。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)などがある。参加作品に、小林耕平《タ・イ・ム・マ・シ・ン》(東京国立近代美術館)など。

取材・文=鈴木裕子 写真=帆足宗洋(AVGVST)

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