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2018.10.26 12:05

伊藤忠を総合商社ナンバーワンに導いた「気づき」と「気遣い」


これは自身の経験も大きく影響しているだろう。高校3年生の2学期に結核を患って1年間の療養を強いられ、しかも同時期に父親をくも膜下出血で亡くしている。大学受験を諦めようか病床で思い悩んでいたところ、友人が見舞いに。持参した小さな新聞記事には「大人になって大成する人は、幼いころに大病を患っているか親を亡くしているかのどちらかだ」と書かれ、岡藤は「自分はどちらかではなく、両方を経験したんだ」と奮い立った。2年遅れて入学した東京大学の学費や生活費は、すべて自分で賄ったそうだ。

「相手が苦境に立たされたときにどういう対応ができるか、というのが大事なんですよ。当時の僕には、親戚でも友人でも精神的・経済的な助けになってくれる人がたくさんいた。だから僕は、うまくいっている人に対してはよう言わんけど、失敗したり苦労したりしている人には、やはりひと言、優しい言葉をかけてあげたいんですわ」

繊維部時代は若手社員の家族構成を記憶し、何かあれば「お母さんはどうや」と声をかけた。会食時の土産も、いまだに秘書に頼まずに自分で購入して持参する。

「印象を残すためには、ちょっとしたサプライズが必要なんです。社長さんだけでなく、その奥さんにスカーフを用意して、運転手に預けておくとかね」。内外問わず、その気遣いは徹底されている。

商社は「ひとりの商人」の集合体

岡藤は長年、大阪の繊維部門に在籍し、各役職を務めてきた人物だ。歴代社長は東京本社の経営企画担当役員の歴任者が主だった伊藤忠で、繊維カンパニーからの就任は実に36年ぶりだった。傍流意識を持つ一方、岡藤の経営に役立ったのが、繊維部隊でコツコツと培った商売のセンスだという。

「私が商売について多くを教わったのは、実は三井物産の繊維部隊だったんです。伊藤忠が原料やテキスタイルなど旧来の商売を続けていたときに、三井物産はヴァレンティノ・ガラヴァーニなどのブランドビジネスをやっていた。さすがの先見の明というかね。それを知った僕は、ライバルの三井物産の胸を借りるつもりで、最初は一生懸命真似をし、次第に戦いを挑んでいったというわけです」

当時、伊藤忠はアパレル会社の海外買い付けに同行し、そのアテンドの貢献度により商品を任されていたが、三井物産はブランドの輸入販売権を取得してから、主導的な営業をしていた。岡藤は三井物産の方法論を会得し、ブランドビジネスを手がけることに成功。その後は輸入販売権だけでなく、ライセンス権、商標権などの取得へとビジネスを進化させた。

「商社だけでなく、百貨店ともブランド獲得競争を繰り広げた」と愉快そうに回想する岡藤だが、実際に西武百貨店(現そごう・西武)との戦いでは、アルマーニの日本での独占輸入販売権を獲得している。

「そういったエキサイティングな体験を、いまの伊藤忠の若い社員にもさすと。大きな成功体験ではなく、ほんのちょっとのことでもいいから達成感を味わわせる。小さな成功体験の積み重ねによって、社員というのは伸びていくと思うんです」
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文=堀 香織 写真=ピーター・ステンバー

この記事は 「Forbes JAPAN 新しい現実」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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