つまりこれは当時のルーマニア限定の話ではなく、「私たち」の話なのだ。そう気づいた時、街の底に見える貧しさも、ガビツァの陥った窮状も、オティリアの涙ぐましい努力も、ボケた母親を抱えて生きるのに必死なベベでさえ、私たちの社会とは無縁と切って済ますことのできないリアリティを放ち始める。
隠し事をしているらしい恋人の心の内を知りたがったアディに、オティリアはついにすべてを打ち明け「もし私が妊娠したらどうする?」と尋ねるが、アディはうまく答えることができない。ここでオティリアの悲しみは頂点に達する。
行き場のない気持ちを抱えてホテルにとって返した彼女に待っていたのは、不幸な友人を助けるための最終ミッションだ。
最後の最後まで、優柔不断で悪気なくオティリアを振り回すガビツァ。やれやれと思いつつも見捨てることはできず「共犯」となるオティリア。こちらに向けられた彼女の眼差しは、「どうすれば良かったというの?」と問いかけているようだ。
連載 : シネマの女は最後に微笑む
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